「ゴミを殺して頂点だけにすると文化は枯れるんです」
----これは僕がですが、最初に鶴岡さんを知ったのはエヴァの『新世紀の迷路』という本なんですが。名前を意識するようになったのは、かな。それでその後もいろいろ見ましたが、この人のホームグラウンドはどこなのだろうかと。
鶴岡▼ああ無いですね、それは。それはでも自分で言うもんじゃないのかなと思ってて。世間がたぶん決めてくれるだろうと。とりあえず今は思いついてやりたい事を全部やってみようと。だから『新世紀の迷路』出した頃の僕の仕事としては異質なんですよ。あの頃僕エロ本のライターなんです。アダルトビデオのレビューとかずっと書いてたんです。ホントにもう自分の一番頭の悪い文章書いてた時期なんですね。ここで僕自身をちょっと定義すると、僕は異端者っていうか、変わり者という自覚が強いんですよ。僕、普段から何気なく中央に追いやられる、という言葉を使うんですね。そういう気持ちが強くて、つまり自分が正統になりたくないって事ですよね。なんか窮屈そうだし僕には向いてない。向き不向きですよ。それはどっちが偉いとかじゃなくって。深海に住んでる魚を上にあげたら死んじゃうじゃないですか。逆もまたそうですよね。僕の住処はここだと。はずれだ、辺境だと。だから辺境にいるからこそほかの世界がすぐよく見える。例えばウルトラマンとかでも一回とか二回だけ変な怪獣出てくるじゃないですか。モットクレロンとかシーボーズとかモチロンとか。そんな生き物だと思うんです、自分が。
----では、そういう大学というアカデミズムの制度の中で講義をするという事に対する嫌悪感みたいな、そういうものは?
鶴岡▼ああ、嫌悪感とかはあんまり。
----高校時代とかはそういう学校制度に対する、なにかそういう違和感みたいのものを?
鶴岡▼学校の制度っていうかね、僕すごい小規模なんですよ。担任が嫌いだったんですよね、中学の時は。だから3年の授業って1回しか出た記憶ないんですよ。あと学校めんどくさかったのありますね。内職のほうが面白かったんですよ。中学の時かな、授業さぼってね図書館から文学全集かっぱらってずっと読んでたんですよね。学校さぼって神保町の古本屋行ったりとか。で中学そうだすごい成績落ちたんですよ。で高校行ったら物凄いヤンキー高校で。まぁそれなりに友達出来たんですけど。今でも覚えてるのは、千葉の駅前だったかな、駅前で友達にばったり会うんですよ。で何処行くのって言ったらそいつは、いやこれからパチンコの新装開店でって、鶴岡はって言われたら僕はこれから東京の古本市があるから出かけてくるんだって言って。二人とも学校サボってるんですよね。どうしたもんだ俺たちはとか思ってね。だから高校で唯一僕が上手かったのは単位の計算ですね。
----ああ、なるほど(笑)
鶴岡▼僕は、ああ自分は世の中と違うんだって事を小学校高学年くらいから気付き始めたんですね。僕ね漫画の前に特撮なんですよ。特撮ファンなんです。僕がすごい自分の怪獣に対するものの考え方が明らかにみんなと違うって気付きだしたのが小学校4年くらいなんです。僕はクラスの友達みんなそれ専用のノートを持ってると思ってたんですよ。怪獣ノート。僕だけだったんですよ、クラスで。その時衝撃受けて。その週に出たサブタイトルと怪獣の名前全部書いてたんですよ、戦隊物は。当時はダイナマンとかバイオマンかな。で自分のへったクソな絵でスケッチ書いて、こいつはこれでこれでこんな感じで強かったとか感想をそれ全話分書いたりとかしてたんです。それをみんなしてないって事に気が付いて。あと驚いたのが怪人を見てすぐ名前言えないんですよ、みんな。
----仮面ライダーとか?
鶴岡▼そう。仮面ライダー劇場版はね3回くらい劇場で見てるんですよ僕。で今でもね年に1回必ずビデオ借りてきて見てるんですよ。僕はすごいうるさいガキだったんで、親に映画館に閉じ込められるんですね。買い物してくるから入ってろ、終わったら出て来いって。映画館って終わる時間かいてあるじゃないですか。終わったらここにいろって言われてた。だから親と一緒に映画見た記憶無いんですけど映画を見た記憶はすごくあるんです。
----それがあの『ガラクタ解放戦線』の中でを提唱(?)されてるガラクタ文化論に繋がると。
鶴岡▼そうですね、僕の場合はと学会のトンデモの方がむしろ近いですよ。定義としては。トンデモっていうのは著者が意図しない部分で楽しむ本じゃないですか。ガラクタ文化は読んだ人間を経過するんですよ。例えば僕のライターの師匠である唐沢俊一という人間と付き合っててつくづく思うのが、あの人が見た映画の話っての聞くと面白いんですよ。でもその映画を見ると無茶苦茶つまんないんです。これじゃないかと。結局その本を読んだ人間、読者まで含んで僕は文化なんです。それがどう消費されたか。どうその人の中で消化されたかっていうものまで。それは個人であったり社会であったり大衆であったりするんですけど。その中でそれがどう使われたかとういうことまで含んで考えようってのが。使われかた手垢のまみれ方っていうものまで含めて文化じゃないかという。授業でも言いましたけど、とっつかまったポケモンのエロ同人誌かいた、あの人の同人誌も僕の中では本人がポケモンだと思って書いたわけだからポケモン・ザ・ワールドなんですよ。任天堂は認めないけど。でもあれはポケモンってものが消費された結果じゃないですか、パロディというものも。そこまで含めてポケモンだと。だから僕はありとあらゆるパロディを認めちゃうんですよね。
----漫画って言うジャンルで言うとそういう有象無象のパロディ的なものに対して案外寛容な気がしますが。
鶴岡▼そうですね。でもそういったものがあった上で歴史って紡がれてくと思うんですよ。オリジナルのものだけで無菌室みたいなものを作ったら多分自家中毒を起こすと思うんですね、文明自体が。ゴミを殺して頂点だけにすると文化は枯れるんです。彼らはホント根っこなんです。根っこ無い花はすぐ枯れるじゃないですか。ダメなものとか悪いものって実はみんな根っこなんですよ。
----それがガラクタ文化ということになるわけですね。
鶴岡▼そうですね。その歴史的な視野からみても。だから僕は本当に解釈の自由、これを言いたいんですよ、常に。
----最近そういう、まぁ言い方はいろいろあるでしょうがサブカル文化人とかオタク文化人とか、漫画にも関わってくるんですけど他の評論家の方とか、そういうのも盛り上がっていて、本もいっぱい出てますよね。
鶴岡▼いやぁシーンが盛り上がるのはいいんじゃないかと。むしろまだ評論家の数足りないですよ。
----鶴岡さんはその一端をになっている事になるわけですが。
鶴岡▼映画評論みたいな雑誌があるんだから漫画評論みたいな雑誌が一冊あっても、まマンガ夜話がそうなのかなと思いつつも。でも僕はむしろもっと違う、専門誌じゃなくていいから『SPA!』だとかああいう所で何々で何々先生の新連載が始まりましたよぐらいの情報がいっぱい載るのようなのがいいんですよ。ほら新聞買うとテレビ番組で今日はこの番組の第一話ですとか載るじゃないですか。ああいう感じに総合雑誌で、せめてコンビニで売ってるマンガのメジャーなところだけでいいから、誰々先生がここで描いてますとか情報載んないと。たまに凄いこと起きるじゃないですか。知らないうちにジョージ秋山の新連載が『オールマン』とかで始まってたりとか。
----確かにそういうのが欲しいですね。
鶴岡▼そう、そういうのがパッとね。あと評論家が今始まってるこれはちょっと面白いから見逃せないとか、そういうことを。評論って言うか書評みたいな感じで。映画評とかレコード評、音楽評はちゃんとあるじゃないですか。新譜が出ると何々の新譜が出ましたとか。でそれはいっぱいいろんな人が居るから色んな方向押さえられる。漫画評論もいっぱい色んな人が居て、例えば手塚先生のことばっかり話してる人も居れば、なんか水木しげるの話をしてる、あとエロマンガのこの作家のこんな凄いのが出てきたとか言う人がいっぱい居れば、ある程度その漫画評論家の中で優れた人何人か押さえていれば、なんだか全体見えたような気がするじゃないですか。
