デジタルG編集長日記
2000−1

Y2Kって、俺のカメラの時計が狂うことだったのかい。
1月1日
 2000年明けましておめでとう。新ミレニアムがスタートしたが、身辺に変わりはないようだ。親戚が大晦日から泊まりに来ている。ところでY2Kだが、僕のカメラの日付昨日がおかしくなっただけだった。00年1月1日、とセットしてもシャッターを押すと87年1月1日に戻る。何度やっても同じ。まぁ日付で管理されているシステムなど以外は絶対に誤作動など起こすワケがないことは百も承知していたし、ライフラインは一番懸念されていたんだから、とっくに対応終えているはずで、うちは何も備蓄もしなかった。だって普通に考えりゃどっかのバカが叫んでるようなパニックになんかなるワケないじゃん。そういえば年末に電車の中ではサラリーマンのオヤジがこんな会話を交わしていた。
オヤジA「ウチのさぁ、パソコン大丈夫かなぁ」(どうやらパソ初心者のよう)
オヤジB「ワイツーケェーだろ? ヤバいらしいよ」(こいつはパソを使えないらしい)
A「なぁ。ウチの(女房)なんかさあ、電源入れちゃダメよ、なんて言ってんだよなぁ。仕事にならねえじゃねぇかよそれじゃあ」
B「家のパソコンで仕事してんの?」(ちょっと意外そうに)
A「あったり前でしょぉー!」(嬉しそうだ…歯をむき出している…)
B「インターネットとか絶対ヤバいらしいっていうよ」
A「何が?」(お前に何がわかる?という顔で)
B「いや、だから…ほれ、ウィルスとか。」(全然別問題だが。)
A「あー、俺インターネットやらねぇから。」(なぜ得意気なのだ?)
B「ふーん。」(これ以上パソの話題を知らないらしい)
A「…」(こいつも知らないらしい)
 まるで漫才のようで非常におかしかったのであるが、残念ながらそこで池袋に着いてしまった。
 きっとこれから誰が煽動したのか、なんて責任追及が始まって、それに対してまた言い逃れが…なんてことになるんだろうなあ。ノストラダムスの99年7の月騒動とおんなじようなもんか。何はともあれ今年もデジガロをよろしくです。
1月某日
 青林堂の蟹江社長から電話。これまで再復刊のガロにはいろいろと協力させてもらってきたが、正式に編集顧問として迎えたい、とのお誘い。常勤は出来ないが、ありがたくお受けする。ガロ編集部には編集経験者が少ないし、以前のガロからの橋渡し役としてお役に立てればと思う。さっそく5日には編集会議があるので、出席することになる。
1月某日
 先月の頭に肺に水が溜まり、死にかけた猫のそう太、その後持ち直して食欲も復活し、若いシマ(2歳・アメショー・オス)とボクシングをしたりと元気だったのだが、早朝「アァ、アァ」という声が寝室の外でするので目が醒め、毛玉を吐いているのかと思って起きてみると、寝室のドアの前でぐったりしている。先月の呼吸困難の時よりも苦しそうだ。連れ合いも起きてきて、二人で「いよいよか…」と顔を見合わせる。
 思えば、これまでこの猫が死ぬとは思ったこともなかったくらい健康だったので油断しており、じゃけんにしていたきらいがあったから、先月死にかけて復活した時は神様が可愛いがる時間を与えてくれた、つまり延命させてくれたのだと解釈していたから、今回はもう本当に覚悟を決めた。苦しくて不安だったのだろう、寝ている我々のドアの前まで来て必死で起こそうとしていたらしい。背中をさすったりするが、呼吸は一向に楽にならない様子だ。医者にも見放されたわけだし、2月で19歳という超高齢猫だ。もうどうすることも出来ない。ただ弱弱しくあえいでいるのを見ているしかない。そのうちソファで二人ともうとうとしてしまった。お昼頃、僕がコラムを連載している「PULP」を出している、アメリカのVIZ communicationsの担当・Izumiさんからの電話で起こされた。寝ぼけていて、「どうも、PULPのIzumiです」と名乗っているのに「ど、どちらさまですかぁ?」と聞いてしまった。恥ずかしい。新企画についての説明と、特集への執筆依頼だった。
 その後相変わらず苦しそうなそう太が心配だったが、どうしても出かけなければならない用事があったので、二人で2時間ほど出かける。戻ってみると、そう太は同じ場所にうずくまっており、何と血尿を失禁していた。これを見てもう本当にもうダメだ、と確信した。そう太はトイレのしつけは非常によく守り、これまで部屋で漏らしたことはうっかり家人がトイレへのドアを塞いで行けなかった一回だけ。それもしきりに「ニャァニャァ」(トイレが閉まってるよ)と訴えに来て、こちらがワケがわからずにいると目の前で「もうダメっす…」という感じだった。12月の危篤状態の時でさえ、息もロクに出来ないのにフラフラとトイレへ行ったくらいだったのに、大量の失禁を部屋でしたということは…。  先月の危篤から回復してこれまで、ちょっとだけないがしろにしていたかも知れないことを反省し、そう太を僕らは精一杯可愛いがった。必死に酸素を吸おうとあえいで苦しんでいる様子を見て、二人で「そんなに頑張らなくていい、もう楽になっていいんだよ」と語りかける。
1月某日
 そう太はあれから数日経って、またもや持ち直したようだ。しかし実は先月からシマも膀胱炎らしく、尿をしようと力んでは血の混じった一滴ほどの尿をポツリと垂らし、を繰り返している。薬も効いてないようだし、そう太のこともあるので、他の病院を当たってみることにした。僕は学校(講師をしている専門学校)が始まったので出かけたが、若い獣医さんが引き取りに来てくれ、2匹とも検査に連れてってくれたという。
 帰宅してしばらくすると7時すぎにも関わらず獣医さんが届けにきてくれ、親切かつ丁寧に検査結果を教えてくれた。シマの方は膀胱炎なので、これまでの薬と違う種類の抗生物質を投与。問題はそう太だが、通常肺に水が溜まったらそれが自然に抜けるとうことは考えにくいという。しかし現実に二回も回復したわけで、これは奇跡的という言葉を使うしかないとのこと。とにかく諦めずに治療しましょうと言ってくれ、薬も出してくれた。諦めていたのに希望がさしてきたようだ。何とかなるものなら治療してやりたい。
1月某日
ガロ2000年2月号 ガロ復刊2号(2000年2月号)が出る。印刷ミスで漫画にモノクロ2階調ではなく1C分解したため、全体にアミがかかってしまったページが多数あり、それだけが残念だが、全体としては非常に読み応えのある一冊だと思う。ガロの歴史を紹介する「ガロ・クロニクル」は特に資料的にも読み物としても、読み応えという点ではかなりのものだ。また個々の漫画作品もみな力作揃いで、2号目にしてガロ完全復活を強く印象づける号といっていい。
 自分への年賀状で、復刊号(1月号)を見た段階で、「まだ方向性が見えない」と書いてきた昔からの知り合いの方がおられたのだが、復刊号は何度も繰り返すが「復刊すること」が最大の目的。再録が多いなどいろいろと批判の声が聞こえるようだが、その間の諸事情を考えると、とてもじゃないがそんな感想を持つことは、自分にはできない。
 3号はもう進行に入っており、紙面に関して具体的に僕が顧問として関わっていくのは4号以降となるだろう。とはいえ、まあ自分は以前のガロとの橋渡し的役割だと思うし、偉そうにしゃしゃり出ることはしたくない。現スタッフのサポート・バックアップということで、今後協力していきたいと思う。

1月某日
 新年早々に入った某社の仕事の打ち合わせで五反田へ。寝坊したので慌てて家を出て、五反田駅前の立ち食い蕎麦屋で蕎麦をかっこむ。
 打ち合わせ終了後、恵比寿の青林堂へ行き、4コマGAROのデータを入稿し、編集部に届いている投稿作品を下読みする。編集部のMACを借りて原稿返却時に批評を書き込む用紙を作成するが、久々に使うMACは日本語が打ち辛く、普段の入力スピードの10分の1以下。特にカーソル移動キー配列に戸惑う。
1月某日
 仕事で某プロダクションの編集者のT氏と自宅で打ち合わせ。終わって世間話をしているうちに、一杯やることとなり、近くの焼鳥屋へ。ここは30日にデジガロの常連さんたちと飲んだところで、とにかく炭火で焼く地鶏が滅法うまい。ビールをガンガン飲みつつ、編集者魂の話などで盛り上がる。自分の哲学としては、編集者は作家あっての商売。もちろん作家さんとて、編集者というプロデューサーをよきパートナーとしてタッグが組めればいいわけだし、決して編集者が「描かせている」だの作品を「作っている」などと傲慢な態度では失格だと思う。常々、教え子にもこういうことは叩き込んでいたのだが、T氏と話していて、意識が全く同じことを再確認した。大手でも弱小でもマインドは同じなんだなあ。
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