デジタルG編集長日記
2000−3
浜崎あゆみ、音はずれてっぞ!(あ〜耳障り)
3月某日
サンフランシスコから、僕がコラムを連載させていただいている「PULP」の成田兵衛氏が来日している。この日打ち合わせで会うことになっており、夕方舟渡まで来ていただく。1時間ちょっと家でアンソロジー「SECRET COMICS JAPAN」の打ち合わせ。担当の泉ちゃん(Izumi Evers)が成田さんに託したブ厚いファイルがあり、候補作家一覧、候補作品とそのコピー、作家への依頼予定やその他のスケジュールがファイリングされているのを受け取る。意気込みが伝わってくる重さだ。またどうしても日本側にスタッフというかエージェントというか、VIZのために動くエージェントを引きうけた。というのも最近漫画に触れることが比較的少なくなっていたこともあるのでリハビリもかねて。結局成田さんも白取さんが引きうけてくれるなら一番いいし安心だ、といってくれた。
成田さんは疲れている様子だったが、聞くと某出版社関係の仕事…というか会議やら挨拶に追われてへとへととのこと。日本人、とりわけオヤジ社会はすぐに「じかに説明を聞きたい」とか「挨拶がない」「進捗状況を報告しろ」とかそういうことばかりだもんなぁ。以前そういう仕事をした時のことを思い出した。もっとも、そういうオトナの部分を引きうけるために来日したことは自分でもわかってはいるので、まぁしょうがないということらしい。大変だなあ。で、打ち合わせも終わったので連れ合いと3人で清竜丸へ。マスターに成田さんを紹介し、刺身をもらう。成田さんは感激して刺身をほとんど一人でバクバク食っていた。途中からマスターも一服しに来て、いろいろ話をする。その後清竜丸のマスターたちとカラオケ。12時すぎ、さすがに成田さんはしんどそうで先に帰る。その後しばらくして我々も帰宅。
3月某日
近所の焼鳥屋「鳥力」で当デジガロ常連さんたちと“トリオフ”。7時頃に連れと先に出かけると、店はめずらしく(失礼)混んでいた。いつもガラガラなので安心していたのだが、5人しか座れないテーブルが一つしか取れず、結局隣のテーブルにいた5人連れを移動させてしまった。すんません。いつもの炭火焼きの七輪(?)を2つにしてもらい、地鶏、牛タンなどをジュウジュウ。皆うまいうまいと食っていた。この日ははじめて生イカの丸焼きを頼んだが、これが新鮮なイカで美味。なかなか良かった。さんざん飲んで食って、会計は3万5千円くらいだったので、あれだけ飲み食いして一人5千円だった。その後うちへ移動。
3月某日
webデザインを引きうけている某社のHさんと3月の更新の件で池袋で会うので、連れとバスで出かける。バスが遅れに遅れ、昼飯を食う時間がなくなりそうだったので、池袋に着いてバス停近辺の熊本ラーメン屋でイマイチのラーメンを食う。まぁいわゆる「何か忘れてない?」系のラーメンすね(笑)。僕だけ打ち合わせの喫茶店へ、連れは本屋へ行くというので、終わってから東武デパート上のスペースで落ち合い、地下で買い物してバスで帰宅。
3月某日
今度は帰国した成田さんに代わり、サンフランシスコから僕の担当編集者の泉ちゃんが来日。彼女はデザイナーだったのだが、すっかりPULPその他の編集者兼デザイナーになってしまった。宿泊先のサンルート新宿のロビーで落ち合い、とりあえずご飯食べながら打ち合わせでも、ということにして、南口ソフマップ近辺のパスタ屋に入る。ここで成田さんから預かったファイルを開き、今後のことなどいろいろ打ち合わせる。SCJ(Secret Comics Japan)の作家の選考などから始まって、PULPのリニューアルの話、日本のサブカル状況やらいろいろ話が広がり、結局その店だけで2時間半ほど。この後資料集めがあるので、泉ちゃんはホテルにカメラを取りに行き、総武線で中野へ。道々撮影しつつブロードウェイへ。まずまんだらけ各店舗をうろつき、「変や」で泉ちゃんは資料ならぬ自分用のポスターやら昔の少女漫画の付録をGET。聞くと買ったものは1000円で宅配してくれるというので、ラッキー、と預けて同じ3階のマニアック館へ。ここで候補作家の作品や雑誌などの資料はほぼ揃い、あと数冊。しかしいろいろ物色しつつ、あの九龍城のようなビルの中をウロウロしたのでけっこうへとへと。最後にタコシェでPALEPOLI他の資料も全て揃ったので、安心して中野駅へ。この時点でもう5時を回っており、秋葉原に向かう電車の中で暗くなってきた。総武線は水道橋にきたところで何か亀戸あたりで故障らしく電車が玉突きで止まってるとのことで数分停車し、次の御茶ノ水でまた停車。こっちは座ってたので良かったが、電車は混むし大変だった。
秋葉原に着いた頃はもうすっかり夜で、日中は汗ばむほどだったのにえらく寒い。アキバのオタクショップの写真を撮ったりするはずだったのだが、とらのあなとメッセサンオーだけにして、7時頃京浜東北線で赤羽へ向かった。連れに電話し、お決まり(?)のコースで清竜丸。例によってカラオケに行き、今度は1時ころまで。
3月某日
昨日…というかもうおとついだが、翌日は俺は胃腸の調子が悪くグロッキー気味だったが、某社サイトの作成と先日打ち合わせしたHさんのWEBの更新が重なっていたので、一日中パソに向かい、未明まで仕事。
昼頃起きるとメールでの直しの指示が入っていたので済ませる。今日はPULPの泉ちゃんと漫画家・イラストレーターの水野純子さんのお宅に行くことになっていたので、2時過ぎに出る。携帯で水野さんに道順を聞いたところでちょうど泉ちゃんが到着。商店街を歩いて水野さんのお宅へお邪魔した。水野さんちはビルの4f、エレベータはなく4階まで上がるとちょっと息が切れた。とほほ。水野さんの部屋はスパイスガールズのフィギュアや、ラス・メイヤー系のあっちの女の子のグラビアなどが壁に貼ってあり、おもちゃやらが並べてあった。買ったばかり、というiMACがうらやましい…。
ここで泉ちゃんは水野さんと意気投合、今後の打ち合わせ以外にもいろいろと盛り上がる。外でお茶でも、ということになり、水野さん推薦の目黒川近くにある洒落た喫茶店へ移動。洒落たといっても、いわゆる気取ったお洒落系ではなく、いかにもアート系の若者が好きそうな店だ。ここでお二人を置いて、この後に予定があったので、先に出る。水野さん、ポストカードたくさんいただいてありがとうございました!
3月某日
そう太はトイレを見ても一段と血尿が凄く、目も落ち窪んで体重もえらく軽くなってしまっている。そして風呂場でほとんど一日中うずくまっており、いよいよ時間の問題という感じか。可哀想は可哀想なのだが、去年から数回あった呼吸困難のような苦しみはないようで、それだけが救いか…。
3月19日
おとついまでフラフラになりながらもオシッコだけはトイレにちゃんと行き、赤い尿を出していたそう太。それ以外は水もほとんど飲まず、もちろんエサも口にせずに風呂場でぐったりとしていた。背中は骨がとがり、腰骨もはっきりわかるほど痩せてきた。ふびんでしょうがないが、12月から数回あったような呼吸が苦しい様子はなく、もうこのままいっそ楽になってくれたら…と思っていた。一度だけ日中風呂場から出てきたが、もう足がふらふらで、フローリングの床ですべるような格好で下半身の方が辛そうだった。
昨日になってそう太はとうとう風呂場から動けなくなった。連れ合いが風呂場にずっとタオルを敷いてやっているが、凄い匂いがするのでなんだろうと思ったら、結局そこで小便を漏らしたようだ。連れは何度も風呂場の様子を見ては戻ってきていたが、夕方ガタン! という音がしたので飛んでいくと、そう太が風呂場から洗面所への段差から落ちたようだった。もう下半身が動かせず、いざるような格好で、どうやらトイレに行こうとしたらしい。こんなになっても、オシッコはトイレでしようとしている姿に涙が出そうになる。そこでしてもいいんだよ、と思うが、「トイレに行きたい」と思って力をふり絞ったのだからと思い、二人で足拭きマットを担架のようにして運び、急いで汚れている猫トイレを掃除していると、連れに抱えられたそう太が「アー、アー、アー」と弱弱しく三回鳴いた。結局これがそう太の声を聞いた最後になった。
綺麗にしたトイレにそう太をそっと置くと、置かれたままの形で崩れ落ちるようにうつぶせになったままだ。しょうがないのでまたマットを担架にして風呂場に戻した。この後は時おり向きを変えるくらいで、か弱い呼吸を繰り返している。夜になって、一層呼吸が苦しそうになった。が、それは前の呼吸困難という苦し気な様子ではなく、弱くなった肺のためのようだった。時おりかわるがわる風呂場を覗き、その度にちゃんとそう太が息をしているか=生きているかを確認しては撫でて、戻ってくるのを繰り返していた。「もういよいよダメかもね」と話し合う。3時すぎまで起きていて、僕は今晩中にそう太が死ぬという確信のような予感があったので、このまま起きていようかと思ったのだが、連れがもう寝ようというのでこちらも床に就く。3時半過ぎまで寝つかれず、一旦起きようと思い連れに「そう太、大丈夫かなぁ」「やっぱり起きてようかなあ」と声をかけたが無言なので、いつしかそのままこっちも寝てしまった。
朝方、連れが物凄い咳込みをして、こっちも目が醒めた。薬を飲みに行く、と行って起きたので、戻ってきてから「そう太、息してた?」と聞くと「うん」と言うので安心してまた寝たのだが、朝7時前に泣きながら「そう太が死んじゃった」と言って呼びにきた。飛び起きて風呂場に行くと、目が半開きで、そう太が横たわっていた。まるでまだ生きているようだった。撫でてやると、まだ暖かかった。連れが起きて一度見た時は、お腹がかすかに上下したという。だから、本当に静かに息を引き取ったのだろう。18歳も生きて、12月に危篤になってから苦しい状態が3度ほどあったが、その間は家族みんなで思いきりそう太を可愛いがったし、最後も苦しむこともなく、安らかに逝った。これで良かったのだろう。連れとスポイトでそう太に末期の水を口に含ませる。そう太、よく頑張ったね、今までありがとう。そう声をかけながら撫でてやる。
段ボール箱に、そう太が硬直する前にタオルを敷いて入れてやった。まだ体は柔らかく、かすかにぬくもりもある。半開きだった目も顔を撫でてやり、閉じてやった。箱の中に横になったそう太は、お腹が上下していれば、本当にぐっすりと寝ているように見える。しかし、もう冷蔵庫を開けても「牛乳頂戴」としっぽをピンと立てて来ることも、風呂場で水を飲むたびに「アオアオン」と鳴くことも、あの立派なエプロンをなでると嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らすことも、ソファの背で居眠りをして床に落ちることもないんだ…そう思うと泣けてきた。
水と線香をあげ、エサを供えた。エプロン(喉の下)部分の毛を鋏で切り、ヒゲも切って、ケースに入れた。
3月21日
そう太は火葬されて、骨になって戻ってきた。うちの猫の中では一番大きかったのに、骨壺はこんなに小さい。そういやお彼岸だし、9年前に死んだ連れの最愛の猫、ジローのお骨を出して、そうちゃんの骨と並べて線香を上げた。何だか二人とも放心してしまい、お互い仕事もあまり手につかない。深夜になっても寝つかれず、何度か起きてはそう太の写真を出しては見たり。連れが骨壺を寝室の前に置いて、ずっと風呂場でうずくまっていたからと「いっしょに寝ようね」と声をかけてドアを閉めたら、さっき起きてきて、誰もいない隣の布団(僕がこれから寝るところだが…)が確かにもそもそと動いたと、起きてきた。他の猫は皆こちらの部屋に居る。まださまよっているのかねえ、と話し合う。
ペットロスというのは最近になって話題になっているが、こんなに悲しい思いをするなら、生き物なんて飼わなきゃいいのに、という意見も肯定したくなってしまうよなあ。でも「飼う」のではなく「共に生き、生活する、時間を共有する」、「ペット」ではなく「家族」。一緒の時間、いろんなことを教わったし、幸せもたくさん貰った。生き物は死ぬと身軽になり、自由にどこへでも行けるようになる。行きたいところへ、どこへでも瞬時に。そう太がここにまだとどまっているということは、まだここに居たいということなんだろう。