デジタルG編集長日記
2002−3
ご要望にお答えして文字を環境に合わせて拡縮できるようにしました。

どなたか100万円貸してくれる人募集中です。……。
3月某日
 銀座の某社に呼ばれて打ち合わせに出かける。冬晴れでいい天気。銀座なんて久しぶりだなあ、なんて歩いてたら目的の会社を素通りしてしまい、慌てて戻る。ちょいと早く着いたがクライアントの方は丁寧な応対をしてくれた。初めての著書を執筆する方がいて、編集者をつけて一から上梓まで持っていきたい、というお話。編集からDTPのデータ入稿までグロスでお願いできないか、というお話。とりあえず説明をお聞きして引き上げる。帰りにどっかで飯を食おうと思ったが、ハズレるとイヤなので結局有楽町駅ガード下の吉牛で並つゆだくと味噌汁。ああうまかった(笑)。俺の場合TVやグルメ本の情報を信じない。何度、その店を無責任に褒めそやす美辞麗句に騙されたことか。食い物の恨みはでかい。  食い物といえば、うちのかみさんは小食で、ほとんどの店の「一人前」が完食できない。美味しいものでも残さざるを得ないので、美味しかったら尚更店に悪いと言って恐縮しながら残している。そういう人のために半ライスとかがあるのだろうが、「半オカズ」なんてのはほとんどの店にないから、小食の人用メニューみたいのをおけば女性客やお年寄りに親切だと思うがどうだろう?

3月某日
 ジャナ専の広報に頼まれて、春休み中の学校に取材を受けに出た。ちょっと早めに着いたので事務室に寄って出たところで、今度卒業する教え子二人にばったり。成績表を受け取りに来たという。K君は結局出版関係への就職は一年後に英気を養ってから(?)にすることにして、とりあえずバイトをしつつ勉強し、お金も溜めるという。十条に部屋を見つけたということ。S嬢はまだ就職が決まらない、と言って親に一度帰って来いと言われたとのこと。二人から、K嬢が出版編集関係を目指す中では一番乗りに就職を決めたことを聞かされた。みんな頑張れ!
3月某日
 どうしてもスケジュールが折り合わず、先日の銀座での案件はお断りすることになった。先方は「ご縁を大事にしたい」と言ってくれる。有難いことです。
3月某日
 新宿でWEB構築の打ち合わせ。かなり早く着いたのでスロットやってるとこういう時に限ってビッグボーナス連発。慌てて走って、クライアントと落ち合って喫茶店で打ち合わせ。打ち合わせの後店に戻るが全部スッた。阿呆か俺。
3月某日
 連れ合いがここ一ヶ月ほど微熱が出ては治まり、の繰り返し。「今年の風邪はしつこいねえ」なんて言ってたのだが、あまりに長いのでインフルエンザでもかかってたら大変だから、とかかりつけの病院へ行かせた。すると、血液検査で肝臓の何とかいう数値が異常に高く、A型肝炎の疑いもあるから、すぐに大きな病院で精密検査をしろということ。先生はいい方で、早い方がいいから明日すぐに都立病院に入院を、と手配をしてくれた。ネットでA型肝炎について調べると、BやC型と比べ劇症肝炎や肝癌などに進行する確立も低く、治療をすれば予後は良好とのことでとりあえず安心。入院の仕度をする。
3月某日
 連れの入院のために岩槻に住む親戚のYちゃんが車を出してくれることになったが、子供を保育園に送ってからというので待っていた。すると病院の先生から「10:45にY先生に予約を取っておいたから、すぐに紹介状を取りに来て10:30には病院で受付を済ませて欲しい」と電話。時計はもう10時を回っており、慌てて重い入院荷物を抱えて外に出る。運良く、本当に珍しくタクシーがすぐにつかまったので、一度かかりつけの医院に寄って紹介状を貰い、すぐに都立T病院へ向かう。17号は物凄い渋滞で、病院に着き初診受付を済ませ、内科前に着くと結局11時近く。Yちゃんも渋滞にハマっており、待っていたら午前の診療に間に合わなかったところだった。30分ほど待って、連れが呼ばれたので待っているとYちゃんがようやく到着。連れは次々に検査のために病院内をあちこち指定されたところへ3箇所ほど行かされた。それらの検査の間、Yちゃんと病院の食堂で昼飯を食い、戻って来るとちょうど最後の検査の終わった連れと会ったので、内科前で待つ。数十分待たされて一緒に入って所見を聞くと、Y先生曰く「ウィルス性のいわゆる肝炎ではありませんね」とのこと。どうやら以前膵臓炎を患った時に、膵臓が石灰化しており、それゆえに(つまりインシュリンがちゃんと分泌しないため)糖尿の気が出ているが、その当時腎臓の片方もやられていてほとんど機能不全。それらが複合して、例えばアルコールとかストレスなどによって肝臓に負担が来たような。いろいろ説明されたがまぁお医者さんがそう言うならそうかも知れんな、という感じでハイハイと聞く。
 結局そのまま入院で、7階の4人部屋へ行くことになった。この都立T病院は建て替えられたばかりで、設備も最新だし綺麗な大病院だ。何より3機あるエレベータが賢いのがいい。前に連れが入院したやはり都立のH病院のエレベータの阿呆さ加減には辟易したもんなあ。部屋は都立病院だけあってお年寄りばかり。耳が遠いらしく、立居振舞の音がいちいちうるさい。おまけに声もデカい。さらに独り言を言う人もいる。連れは耳がいいから、こりゃ大変だろうなあ、と思った。とにかくいろいろ検査してもらって、悪いところが見つかれば治す。オーバーホールだと思って、と言いきかせて夕方病院を後にした。
3月某日
 前に精神医学関係の本で(一時期かぶれて読み漁った)人間のストレスの強さを数値化したのがあったのだが、それによると最上位のストレスは確か「配偶者の死」だったと思う。もちろん「配偶者の病気」というのもかなり上位に入ってたと思うが。病院にいれば安心、と思う反面、やはり不自由だろうし寂しいだろうな、と可哀想になる。病院から自宅に帰る時に連れの見せる寂しそうな顔を見るのは辛いものがある。この日は昨日に続いてYちゃんが今度は子供連れで送迎してくれ、食堂でカレーを食った。昨日のラーメンも和風だしでまぁまぁだったし、今日のカレーもまぁまぁうまかった。病院のメシも良くなったのねえ。
 帰宅してから、先月会った高校時代の同級生で、今こちらに研修に来ているというUに電話。去年の12月からの研修を終えてもう数日で北海道に帰るというので、こないだやはり同級でバンド仲間だったY宅で飲んだ際、最後にうちで飲もうと言っていたのが連れの入院でダメになったため。俺は高校時代の日記を段ボール箱ひっくり返して筋肉痛になりつつ発見したので、それを見ながら思い出話に花を咲かせて長電話。自慢ではないが、高校時代から自分は詳細な日記をつけている。その日の天気気温は当たり前、学校での試験全教科の成績や麻雀(笑)の全スコアやら、喫茶店に友達と入れば誰が何を頼んだ幾らだった、借りたLPはこれで何という銘柄のカセットにダビングしたとか。変わったところでは、当時のエロ劇画十数人の漫画家評なんかもある。だから当然何年生のこの頃にお前と何をした、とかそういうことを日記を見ながら話すと、Uはすっかり忘れているものだから、「俺も日記つけとけばよかったなぁ。後でこんなに楽しめるなんて」と言って喜んでいた。ちなみにこの詳細な日記はノート十数冊分で、高校卒業後も続き、専門学校時代、青林堂ガロ編集部でのバイト、正社員、編集者時代…と続き、90年頃からはワープロになり、今はパソコンになっている。途中何度か途切れたものの、こうやってネットで公開するものの原型(公開できない部分やしても意味のないもの=これも意味ないか)になっている。日記、つけとくもんですぜ皆さん。
3月某日
 引き続き毎日病院に通っているのだが、この日は池袋に出て連れの好きなミニ盆栽を西武デパートの屋上で買う。入院の見舞いには「鉢もの」は「根を下ろす」からいけないとよく言われているから、連れに「いいのかねえ」と聞いたが欲しいというので、物色。直径10センチ弱のお椀のような鉢にコケがびっしり生え、錦木という小枝のような木がこぢんまり植わっているものと、やはりお椀にコケ、芽吹いている木の周囲に極小の葉が一枚てっぺんについた茎の長い草(?)がしげっているものの二つ。持っていくと喜んでいた。昨日今日は土日のため、何の検査もなし。看護婦さんたちも少ない。西武地下で買った地雷屋の天むすをむさぼり食う。盆栽に水をやらなきゃならないのだが、お椀の下に水が染み出てくるのを防ぐものが欲しいな、ということで思案したところ天むすの空き箱がちょうど二つ分にピッタリ。洗って盆栽箱にする。
3月某日
 昼過ぎに病院へ。4人部屋の老婆たちの騒音が余りにひどかったので、2人部屋に移動させてもらったという。婦長さん(といっても若い看護婦さん)は何かと親切にしてくれ、耳が遠くそれゆえにうるさい老婆たちに囲まれていることを気にかけてくれていたから、言いやすかったとのこと。二人部屋の一方の患者さんは中年の静かな女性で、窓際から廊下側になったものの環境は良くなったらしい。CTの間食堂でカツカレーを食う。カツは柔らかくて美味。ただしルーが足らず、配分に苦労した。カレーで一番許せないのはルーが少ないこと。だってカレーなんだよ(笑)。何でメインのカレールーをケチるかなあ。メシではなく「ルー大盛」というのもメニューに加えるべきだと思うがどうか。なんてこのところこんな話ばかり。
3月某日
 病院の食堂で今日はチャーハンを食ったが、これはイマイチだった。うーんそうそう全部当たりにゃならんか。ミニ盆栽は看護婦さんたちにすっかり有名になり、来る人来る人みな「あら可愛い」とか「綺麗ねえ」なんて声を掛けて行く。
3月某日
 Yちゃんが車で来てくれたので、拾ってもらって病院。連れはMRIだというのでその間メシを食いに出かける。食堂も何だから、病院の近所で食おうかということにした。病院前の細い道はあまりその手の店がないのだが、隣にちょっと洒落た日本蕎麦屋があったので入る。掻き揚げせいろを頼むと揚げ物が終わってしまったという。時間はもう2時を過ぎてたのでしょうがないかと、とろろせいろを頼む。手ウチでなかなか美味。蕎麦湯で割ったつけ汁を味わいつつメニューを眺めてると、「小さい丼もの」というのがあり、ミニうな丼やミニカツ丼などがある。これなら連れも食えるだろう、退院したらお祝いに連れてくるかとYちゃんと話して病院に戻る。
3月某日
 取引銀行に書類の書き換えのために出かけ、そのまま病院へ。朝から何も食ってなかったから、食堂で生姜焼き定食食って(メニュー全制覇するのか俺)、連れと中庭で落ち合い一服。病院には喫煙コーナーが玄関横にあるのだが、そこは明らかに「タバコなんて不健康なものを好む意思の弱い馬鹿者ども」という扱い見え見え(笑)の、ガラス貼りスケスケなのに暗い一室。おまけに換気があまり良くなく(ワザとか?)、気が滅入るスペースだった。しかし数日前に看護婦さんが「中庭で吸えますよ」と教えてくれたので、それからは連れと中庭でベンチに腰掛けて一服することにしている。すると清竜丸のマスターがお見舞いに来てくれたので、中庭に招き入れて3人で一服。病棟に戻ると、婦長さんが来て「いないので呼び出しかけちゃいました」と言われる。なるほど、館内に「7B病棟に入院中の患者様のお呼び出しを…」なんてやられている。病室に戻ると主治医のY先生も来て、「許可なく病棟から出ちゃダメよ」と叱られた。肝臓はスタミナの源、まだウロウロしちゃいかんということ。もっともです。マスターは盆栽2つと松の枝を持ってきてくれた。病室にはもう一人の患者さんがいなかったので、3人で馬鹿話して大笑い。
 マスターが帰ったあとしばらくして、こちらも仕事があるので帰る。猫たちは昼にすぐ出かけて暗くなってから俺が戻るまで寂しいのか、帰宅してさあ仕事しなきゃ、というとかわるがわる甘えに来て困る。
3月某日
 連れが入院して11日目。ようやく退院のメドがついた様子。ホッとする。膵炎から来た糖尿病のために、今後は毎食前にインシュリン注射をしなければならないというので、一緒に血糖値の測り方や注射の仕方などの講習を受けた。インシュリン注射、と聞くともう人生終わった感が強かったのだけど、何の贅沢もしたわけでなく、病気のせいでまた病気、その結果のインシュリン注射というのはちょっと可哀想だ。昨日から病院の前の桜が咲き始めた。淡いピンク色の桜の中に、二、三個真っ赤な花があるのが不思議。連れは桜が大好きなので、車椅子を押して病院の前の通りまで連れて行き、花を見る。
3月某日
 区役所に用事があったので、区役所から大山商店街を歩いて都立T病院の裏手に出る。連れの入院は、内科の医師によるともうじきということだったので喜んだが、泌尿器科の方の検査がひっかかり、延期となった。がっかり。帰りに猫のご飯を買おうと坂上に寄り、ちょっとだけやろうかなとパチスロ。爆釣止まらず等価交換で5000枚出す。何やってんだか。
3月某日
 連れの手術が決まる。右の腎臓摘出だそうだ。カンファレンスによると腫瘍は腎臓内に内包されており、周囲への浸潤も転移もないというから、全摘してしまえば問題ないということ。腫瘍は悪性か良性かは造影剤アレルギーがあるため解らない。しかし腎臓癌だった場合は進行は人によってまちまちであり、遅い人もいればあっという間に転移をする人もいるという。肺への転移も多いそうだ。であればどちらにしてもMRIによれば4〜5センチ大と見られるこの腫瘍は摘出しておくのが最も良い対処だと聞かされ、家族として手術に同意する。
3月某日
 連れが手術前に一時帰宅を許されたので、YちゃんMちゃんがそれぞれの車で来てくれる。川口にある巨大ショッピングモールのダイヤモンドシティへ出かけ、ご飯を食べてゆっくり買い物をする。
3月某日
 二人で病院へ戻る前に食事をして美容室へ揃ってでかける。その後タクシーで見次公園まで出かけて、葉桜になった桜を少し見た。桜は年に一度、寒く暗い冬が終わるのと同時に花を咲かせ、日本人に春の訪れを告げてくれる。だがこの時期は気候も不安定ゆえに、必ず風雨や寒の戻りによってハラハラとはかなく花を散らす運命にある。だからその一瞬の華やかさと、それが一瞬であるがゆえのはかなさが日本人の心に染みるのだろう。毎年、無粋な雨や春の嵐にせっかく咲いた花を散らす桜を見るたびに「何と無粋な雨だ」「何と意地悪な天気だろう」と腹を立ててきたが、もし桜がおだやか〜にダラダラといつまでも咲いていたら、この木に対する特別な思いはなかったかも知れない。  病院には6時過ぎに戻った。
3月某日
 連れが右腎臓全摘手術を受ける。前の晩は3時すぎまで寝られなかった。9時過ぎに起きて家を出るといやな雨が降っている。執刀するN医師が来て自ら連れに点滴をし、間もなく看護婦がバイタルを計りに来る。体温36.4℃で平熱、血圧は上が106で下が70いくつ。連れのお姉さんも来てくれた。12時45分、時間通りにオペ室へ向かうということで、一緒に移動。手術室に向かう手前にある待合スペースで、手術の間万が一の事故などに備えて、身内の人が必ず誰か待機していて欲しいと言われた。とりあえず俺が待つことにし、洗濯もあるのでお姉さんが病室へ引き上げることにした。
 待合室には最初ぺちゃくちゃと喋っている中年のおばはん二人がすでに待っていたが、間もなくオヤジと息子2人、母親に祖母までの大人数がぞろぞろ来る。何でこんな人数で、と鬱陶しかったが、持って行ったCDプレーヤーでマイケルシェンカーのインストCDを聞いて紛らわせた。目を閉じるとよく寝ていないせいかうとうとしかかっては起きる繰り返しで、2時5分前になってお姉さんが交替に来てくれる。
 あっという間に2時50分になったので、ちょっと早いがお姉さんと交替に行く。週刊誌を読んで待っていたが、例の大家族のガキ共がぺちゃくちゃと父親としゃべり始めたのが気に障り、再びイヤホンでCDを聞いていると、3時半ころインターホンが鳴った。うちじゃないよな、と思ってると看護婦が近くまできて「白取さん?白取さんのご家族の方」と呼ばれた。呼び出されるということは手術が終わったのか、それとも不測の事態なのかわからない。腎臓は血管が密集している臓器だ、もし大量出血したらとか、不安がよぎったが、手術室の自動ドアのところにN先生が緑色の術衣で立っており、「無事終わりましたよ」とのこと。ホッとしてへなへなとしかかるが、ビニル袋に入った摘出したばかりの腎臓を見せられた。思ったより腎臓自体が大きいもので驚く。お見舞いのミニ盆栽N先生はビニルの上から臓器を二つに切開した状態に開いて見せてくれ、腫瘍と思しき部分を教えてくれた。白い、一見脂肪の塊のように見える5センチほどの塊が腎臓と共に二つに割られていていて、見た感じでは臓器の外に浸潤する一歩手前というか薄皮一枚という感じである。思わず「この白いのが癌ですか」と聞くとN先生は「十中八九間違いありません」という。それでも「見たところ転移もありませんし、今回は輸血もしないで済みましたよ」と教えてくれたので安心した。「これはこれから組織検査に廻しますから、バラバラに切り刻まれてしまうけれども、ちゃんとデジカメで撮影してありますから」とのこと。昨日連れが先生に「切り取った腎臓の写真を撮っておいてもらえますか」と言っていたので、そのようにしてくれたのだろう。とにかく先生に「ありがとうございました」とお礼を言って頭を下げる。「麻酔を今醒ましてますから、あと15分くらいで出られますからね」と言う。病室で待っていていいのかと聞くと、待合室でというので、一旦病室に戻ってお姉さんに無事終わったことを報告してから待合室に戻った。大家族のおしゃべりはさっきまで不愉快極まりなかったのに、手術が無事終わったと知らされた後は全然気にならなかった。  それから20後、ようやく太った看護婦さんが連れのベッドを押して出てきたので、病室まで手を握って一緒に行く。連れは意識もはっきりしているようで、こちらの手もちゃんと握り返した。小さい体でよく頑張ったな、と思いちょっと目頭が熱くなった。
 ホッとしたのでお姉さんと下の喫茶室で少し話して戻ってくると、連れは先ほどと違い、呼吸も苦しそうで体が震えている。ただならぬ気配におろおろして見守っていると看護婦さんが来て、「手術中に体温がちょっと下がりましたんで、今暖めてますから。温まるまでこうしてちょっと悪寒がするんですよ」と言う。酸素吸入のカバーをされているのと、手術中ずっと管を気管に入れられていたせいか声がガラガラでかすれているためにほとんど聞こえないが、「寒い」と言っているのは聞き取れた。電気毛布も入れてくれてあって、最強にしてあるが、それでも震えが止まらない。お姉さんと二人で心配でしばらくずっと見守っていたが、痰が度々絡み、その都度看護婦さんを呼んで吸引してもらうなど、こちらはただただ心配するのみ。お姉さんと「こんな状態じゃあ看護婦さんが定期的に見回ってくれるといっても安心できないよね」と話す。もし看護婦さんが目を離している隙に呼吸困難にでもなったら、と考えるととても今日は帰れないな、と思い看護婦さんが来た時に「病室に泊まることはできますか」と聞くと、駄目だという。個室ゆえに9時消灯の後1時間くらいはいいけども、泊まることはできない、ただ24時間看護婦がいるしちゃんと見ますから、と言われて一応引き下がる。連れは1時間ほど悪寒が続き心配したが、看護婦さんが度々検温に来て、ようやく37度まで上がり、震えも止まったので一安心。痰も自力でうがいをして排出できるという状態にもなったから、明日もあるのでもういいですよ、と言うとお姉さんは6時過ぎに帰っていった。
 その後食堂で夕飯を食っているとMちゃんが会社帰りに様子を見に来た。その後8時頃になり、連れが「もういいよ」と言うので疲れてるだろうし、と二人でタクシーで帰ることにする。
3月某日
 手術翌日だったので昼前に心配なので病院へ。お姉さんがすでに来てくれており、連れは麻酔が効いているからだろう、傷の痛みもない様子。喋れるようになったのはいいが、ただ麻酔のせいでろれつがまわらず、時折眠ってはうわごとを言ったりしている。幻聴が聞こえることもあるというのがちょっと気がかりだ。午後には主治医のN先生とM先生が来て水分なら取ってもいいということになった。それにしても若いM先生は様子を見にきて「立ってみようか」などと言うのに驚く。ムリだよ昨日手術したばかりなのに。夕方お姉さんは先に帰り、俺は連れが眠そうなので夕方5時前に帰ることにした。病院の出口で赤羽行きのバスの時間を確認して3分ほど余裕があるのを見てバス停に行ったのに、バスが全く来ない。ひたすら待っていたが、4時52分のバスが5時を過ぎて5時10分になろうかというところで怒りが頂点に達し、バス停に思い切り正拳を叩きつけて歩き出した。見ると人差し指の第二関節の皮膚が剥離して血が出ている。拳と親指も内出欠。バス停の時刻表は拳を見事に跳ね返して無傷である。俺はバカか。
3月某日
 昨日手術痕の傷口を初めて見たが、かなり大きく切られていて、びっくり。お姉さんが来てくれたので食堂で30分ほど話して病室に戻ると、連れはベッドに起き上がって「痛い痛い」と顔をしかめている。どうしたというと、トイレに行きたいというので、二人がかりで助け起こして、トイレに誘導。その後も「うがいがしたい」というが、誰かが支えていないと危ない感じだ。傷が痛み出し、痛みを抑えるために麻酔を打つ、すると呂律が回らなくなり立つのも不安定になる。立って歩かないとお腹も空かない。空かないと食えないから体力が弱る。弱ると歩けなくなる。これは悪循環で、M医師が「なるべく歩け」というのはそういうことらしい。理屈ではわかるが、傷を見た俺としては、もし俺があれだけ脇から背中を切られて、三日目に歩けと言われても歩けるだろうかと考えると、とてもじゃないがムリだ。右わき腹が縫合されてるとはいえざっくり切られていちゃあ腹筋に力も入れられない。事実ベッドから半身起こすだけで相当痛いらしく、その都度介護が必要で、背中や腕を支えて起こしてもかなり痛い様子だ。咳をしても傷に響くという状態。あまりにひどく痛がるので、2時頃看護婦さんを呼んで麻酔を注射してもらった。せっかく手術前の一時外泊の時に綺麗に髪をセットしてもらったのに、見る影もなくグチャグチャだ。注射するのに半身起こした時に、ちょっとだけブラシで髪を梳いてやる。
3月某日
 それにしてもお姉さんがいてくれて本当に助かっている。俺一人ではこの状態だとつきっきりになってしまうし、タバコもおちおち吸いに出られないところである。連れは痛み以外は順調かと思われたのだが、午後になってこれだけ今日は暖かいのにパジャマの上にカーディガンも着て、布団も二枚かけているのに暑がらないのが不思議で、何気なく額に手を当ててみると凄い熱。すぐに体温計で熱を計ると何と39度2分もある。慌てて看護婦さんに言うと、氷枕を持ってきてくれたので枕を取替えた。

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