デジタルG編集長日記
2002−4
テレ朝「SMAステーション」のロゴ、ナチスドイツのSSのロゴじゃん、いいのか!? と思ってたらいつの間にか微妙に変わってた。すぐ気づけよ。
4月某日
連れは傷の方の痛みも日に日にちょっとづつだが薄れていると言っていて、手術の予後は順調。立ち上がって歩くのも、二、三日前までよりずいぶん楽そうにはなった。ただ喉の調子が相変わらず良くなく、咳き込むと止まらなくなり、そのたびに傷に響いて痛いという。この咳というか喉は原因が解らない。手術後は当然ずっと喉に管を入れられていたから、喉が痛いのはわかるのだが、こんなに続くのは心配だ。あと食欲が相変わらずないのもちょっと不安。夕食が6時過ぎに来たが、結局ほとんど手つかず。俺は6時半頃に帰る。
4月某日
医師二人と看護婦がきて、傷の様子を見る。俺も覗いたが痛々しいのはともかく色も綺麗で、経過はいいと先生も言っていた。本当は抜糸に来たらしいのだが、「明日にしましょう」と言って消毒だけしてまた腹帯を閉じて出ていった。俺は二人でTV見ながら病室に8時近くまで居て、帰宅。
4月某日
病院から帰宅して仕事して、一服しがてら夕刊を見ていると連れからメール。なんと執刀したN医師&M医師が来て、組織検査の結果癌ではなかったという。じゃあ何だったんですかというと、腎血管筋脂肪腫というもので、もし取らなかったらどうなってたのかというと、3センチ以上になると普通破裂して大出血するから、取っておいて良かったということらしい。俺は癌じゃなかったことは喜ばしいものの、であれば何故腎臓摘出手術という大手術を即刻決断したのか、大いに疑問が残るところだ。
つまりカンファレンス室での、手術前に同意書にサインをする際お姉さんと3人で受けた二人の医師からの説明ではこうだった。MRIによって腎臓内に腫瘍と思われる影を見つけた。大きさは1センチ刻みのMRI断層写真5枚に写っていることから5センチ前後。N医師はこれは悪性腫瘍と思って間違いないと断定。そこで、腫瘍であることを前提に話が進められたわけだ。この腫瘍への治療方法としていくつか考えられるが、まず放射線治療は腎臓の組織癌には有効性がないことはもう証明されている、と。抗癌剤もあまり効かないとも。それと腎臓の組織癌の進行速度はN医師曰く「ピンキリ」であり、1年かけてゆっくりと癌細胞が成長していくものもあれば、三ヵ月で末期まで進んでしまうものもある、とのこと。それで、どちらにせよ専門医師の見地から、幸い腎臓内にあり浸潤も転移も見られないうちに、腫瘍ごと腎臓を摘出してしまうのが最善である、という説明だった。
これはこの時の前、連れへの癌告知の直後に俺と連れが二人で受けた説明の際も言われたことだ。しかし、これはあくまでも「腎臓に悪性腫瘍が見つかった」ことが前提である。だからこそ、血管が多い腎臓を摘出するという大手術(手術そのものの難易度はさほどではないとはいうものの)に同意してサイン押捺したわけだし、これが悪性腫瘍ではないということであれば、そんな手術に慌てて同意してはいなかった。その脂肪腫だとして、切って摘出する以外に治療方法はなかったのか、手術以外に選択の余地はなかったのかということに疑問があるということだ。手術には患者の同意が必要であるならば、その同意の前提が間違っていた=つまり誤診の上に基づいた手術であり我々の同意であったということになる。「癌じゃなかったっす!良かったすね!」で済む問題ではない。人の臓器を摘出したのだし、体には一生消えない大きな傷跡が残るのだ。増してや連れは女である。今後温泉に行ったりプールや海に行く場合だって、この傷跡のせいで嫌な思いをするだろう。癌だと言われたから、それでも手術に同意したのに、最初の診断で「癌かどうかはわからない、ひょっとしたら水や脂肪かも知れない。でも手術で取りますか?」と聞かれていたら、同意していただろうか。これは大きな問題ではないだろうか? とりあえず時間も遅かったので、8時50分頃お姉さんの携帯に電話し、ことの次第を話した。お姉さんもさすがに「ええ〜っ、癌じゃなかったの?」とショックの様子だった。
4月某日
それにしても、癌でなかったとは…確かに体のことを考えれば、悪性腫瘍でなかったことは幸いだ。だがそのことと、では切る必要があったのかどうかも判らぬまま、癌だから切れと言われて大手術を決断させられたこととは別な問題である。N医師は、手術の直後に俺が呼ばれた時に切った腎臓を見せてくれた。見た目にも白い塊で、俺は「脂肪の塊みたいだった」とお姉さんや連れ、YちゃんやMちゃんにも言った覚えがある。それが本当に脂肪の塊だったとは。さらにその際、俺がその部分を見て「これが癌ですか?」と野垣医師に聞くと、「ええ、ほぼ間違いないと思います」と明言した。この日記にも書いたし、つい一週間ほど前のことだ、はっきりと憶えている。結局腹を開いて摘出して、さらに切開しても癌だと思っていたということか? 「間違いない」ってのは何だったのか? 本当に体力もない、小さな体の連れにあんな傷をつけてまで摘出手術をする必要があったというのか? 納得がいく説明を受けない限り、このままはいそうですか、ではいかない。
4月某日
N先生の説明は、要するに、手術前の所見では90%、いや99%癌だと確信したので、そのように伝え、手術も勧めた。今回まだ確定ではないにせよ、生検で脂肪腫という良性の腫瘍であることが解ったが、もし最初からそうだということが解っていたとしても、この大きさ(3センチを超えると破裂し大出血、ショック状態になる恐れがあったという。今回の腫瘍は5センチ大)であればやはり手術で摘出することを勧めました、とのこと。確かにはっきりと癌であったと伝えたことは間違いであったわけで、それはお詫びするけれども、だからといって今回の腎摘が過剰な方法であったということはない、どの医師にかかってもこのような決断をすると思うと。連れは当初眉間に皺を寄せて説明をじっと聞いていたが、そのうち納得したようだった。あんなに小さい体で大手術に耐えて、痛いし不自由で不安な思いをしていたのは事実だから、むしろ悪性の腫瘍でなかったことを喜ぼうと思った。考えてもみれば、もし癌だったら今後転移の影に怯えながら暮らさなければならないわけで、そっちの方が辛い。N先生も今回の腎摘によって脂肪腫が取り除かれたことで、心配の種はほぼ一掃されたといっていいと言ってくれた。あとは手術後には誰にでもある小さな血腫が自然に吸収されれば何の問題もない、と。であればそちらの方が癌の転移の可能性を常に心配しながら生きていくより全然いいではないか。
連れは最後に、「もう限界なので自宅へ帰ってはいけないでしょうか」と聞くと、N先生は「いいでしょう」とすぐにOKしてくれた。要するに、手術の傷の予後も順調だし、入院によるストレスの方が強いのであれば、自宅に戻った方が回復は早いだろうという決断である。この時点で4時過ぎ、5時で今日の退院の会計などの受付が終わるから、すぐに仕度をしないと間に合いませんよ、と言われ、お礼を言って病室に戻る。
すぐに支度をし、手持ちが足りなかったのでお姉さんにお金を借りて会計を済ませて、ナースステーションにも慌しく挨拶を済ませ、タクシーの手配をする。急展開で7時にはようやく家に落ち着いた。お姉さんと三人で出前の弁当を食べ、8時頃お姉さんは帰って行った。
4月某日
連れは先に起きて調子がいいのかご飯の支度をしてくれていた。いきなり無理すんなと言い、しばらくしてから食べる。夜は風呂に入り、入院中ずっと願掛けに断っていたビールを一月ぶりくらいで飲む。久々なので本当はあまりうまくなかった。一ヶ月以上もビール飲まなかったのは、おそらく酒を飲むようになってから初めてじゃないだろうか。
4月某日
本当なら今日は買い物に二人で行く予定だったのだが、連れは手術の傷ではなく、その下の方、しかも内部が引きつるように痛いと言っている。買い物は無理だよなあ、と言うと頷くので、4時ちょいに買い物リストをもらい俺一人ででかける。その後はクライアントから催促が来ていたWEB仕事をシコシコやる。寝る頃にはくたくた。
4月某日
引き続きWEB仕事。できたページをアップするたび、メールで文句が来る。画像が気に入らないだの、イメージと違うだの。こちらが案を出してその方向で、と言った後でコロコロ変わるのは勘弁して欲しい。あんたの頭ん中のイメージそのまんまなんか出来るわけねぇだろうが、とキれそうになるが堪えてやり直してはアップを繰り返す。
4月某日
今日はジャナ専新年度初の講義で、1年2組のコミック雑誌研究。去年の俺の担任以外のクラスと比較しても、とっつきやすい子が多いようでやりやすそうなクラスだ。自分の紹介やら、今後の講義の方針など。それなりに熱心に皆聞いてくれたようす。まぁ最初の日なんだから皆真面目なのは当たり前だが。講義の後講師室で自分のメールボックス見てると事務のHさんが来て、「奥さんの手術大丈夫だったんですか」と聞いてくれる。こっちこそ突然学校説明会をドタキャンして申し訳なかったのだが。
講師室で一服してから約束があったクライアントのHさんに電話すると、今日3時半田町の約束を4時にしてくれという。どちらにせよバスで行こうと思っていたので、学校前のバス停から渋谷行きのバスに乗る。渋谷から山手線で田町に着くと、30分ほど時間があったのでコンビニ寄ったり道路で一服してからHさんの携帯に電話して落ち合う。Hさんの馴染みらしい喫茶店に落ち着き、某公団関係の仕事の話と、某建築会社のフライヤーやパンフ一式の請負の話。ライターやCAD・3Dグラフィッカー、さらに空撮カメラマンなどの手配も必要だと聞いて正直大掛かりなのが心配な案件だが、40分ほどで打ち合わせは終わり、資料を受け取って地下鉄の入口で別れる。その後買い物をしてから帰宅、さすがにへとへと。
4月某日
連れの退院後初の検診なので、Yちゃんが車で来てくれる。検診では、手術の開腹した部分と違う「内部の痛み」は結局N先生も首をかしげていて、わからない様子。結局まぁ手術後の血腫か何かがまだあって、それが違和感となってるんじゃないか、みたいなはっきりしない診断。現実に絶え間なく内側に痛みがあるわけで、「そのうち治る」では困るのだが…。
4月某日
ひさびさに体重を量ったら5キロも痩せていた。ここ一ヶ月、病院に毎日通ってその後仕事…という感じだったからかな、と思ったが連れに「ビールやめてたからじゃないの」と言われた。そういやそうかも知らん。
4月某日
ハーレイ・J・オズメントの「A.I.」を借りてきて見る。この子役は「シックス・センス」が初めてだったのだがいやはや達者なこと。いつも「困り顔」なのが薄幸な役柄に合っている。後半部分の展開には賛否両論あるようだが、SFなんだからいいじゃん、と思う。見終わると何ともやり切れない悲しいといか切ない感じ。
4月某日
夕方までに懸案だったクライアントのWEB仕事が完了した。当初30ファイルくらいで、と言っていたのでそれで見積を出したのに、何だかんだで結局110ページを越えた。大損である。しかも細かくネチネチと修正や変更があり、胃に穴が開きそうだったから、終わって心底ホッとする。その後はパソのバックアップ作業。HDDが数ギガ空いた。
それにしても連れは退院して二週間余、手術からは三週間経っているのに、取られた腎臓のあったあたりに依然痛みが続いているという。手術で切られた部分の外傷が痛いのは解るし、それは日に日に回復してもうさほど痛くはないというのだが、内側が痛いというのはどういうことだろうか。
夜1時頃、TVもくだらんものしかやってないので、本でも読もうと段ボールをひっかき回すとこないだから久々に読みたいと思って探していた「中国五千年」の文庫本上下二冊が出てきたので出し、同じ箱から手塚治虫「アドルフに告ぐ」も出てきたので出す。アドルフの方から久々に読み始めるとやはり止まらず、結局3時半まで全巻読んでしまった。それにしても「アドルフ」は凄い作品だ。チンケな映画なんかよりよほど凄い読後感がある。いつも生徒たちにも「読め」と勧めている、もちろん手塚先生の名作なのだが、この内容を理解できるほどの知識と理解力がある生徒がどれくらいいるかは疑問だと思う。何せ日本の近代史をほとんど知らぬ子らだし、その後の国際情勢にも恐らく興味も知識もなしと来たら、この話そのものが単なる「マンガ」であり、自分たちの知らぬ難解なストーリーであり、ということは難しい小説の類と変わらぬということになり、読んでもわけわからんということになるのかも知らん。
4月某日
ジャナ専、2年生の卒業制作実習2コマ通し。今回は仮台割を決めるための、本文の並びを討論させた。というか前の週からそういう会議だったが、なかなか進展しないので、今日までに各企画グループごとに構成案をまとめさせておいた。それを回収して下でコピーを取り、配って意見交換。全てを生徒任せにすると進まないと思ったので、俺が最初は進める。といってももちろん先生の押し付けをするのではなく、全員に討論をさせて論理的に納得させつつだから、くたびれた。で休憩を挟んで4限の途中から編集長のKさんらに仕切りを任せるが、今度は並べ方で全員に改めて聞き始めたので、これじゃあ時間内に収まらんなあ、と思ってそれでも見ているとやはり時間になった。しょうがないので皆に「どうする?」と聞くと「帰りたい人は帰ればいいから続けましょう」というので続け、結局1時間ほどオーバーしたが何とか仮台割までは持っていけた。他のクラスはどういう進め方をしているのかは知らんし知ったことではない。あくまでも自分たちの本は自分たちで一から頭を絞って、全て「理詰め」で考えさせてワンステップごと進ませていく。俺が「ハイ、じゃあ次はこうして」と手取り足取りやってったって何の勉強にもならん。
4月某日
夕飯のあとWOWOWでハリソン・フォードのちょっと怖い心霊もの「ホワット・ライズ・ビニーズ」を見て、夜はNHKで「NHKアーカイブス」のスペシャル、「ミツコ 二つの世紀末」の再放送スペシャルを見る。5回のうち2回。明治にオーストリアの伯爵と結婚し、ヨーロッパに渡ったミツコ・クーデンホーフ・カレルギーの生涯を吉永小百合がミツコに扮しながら追っていくというもので、今から30年前と15年前のものをまとめて放送。
4月某日
夜このところずっと見ている「ミツコ 二つの世紀末」最終回。5話で、ミツコの子供たちや孫、曾孫の話。今の時代のドキュメント仕立ての番組にありがちな、せかせかガチャガチャした雰囲気は全くなく、むしろ冗長なくらい丁寧にゆっくりと作られた番組で面白かった。吉永小百合には全く興味はないのだが、では他に誰がやれるかというとやはりこの人しかいないのかなあ、という感想。見終わると2時過ぎで、その後はやはりNHKでアメリカの大学で7人を無差別に射殺し、精神鑑定の結果刑を免除され病院に30数年収容されていた犯人が、正常だとして仮釈放を求めるルポ。結局仮釈放はダメだったのだが、重い話。寝る前に見るもんじゃないな。