デジタルG編集長日記
2002−6
韓国-イタリア戦、いくら何でもあの審判…
6月某日
もうワールドカップのグループリーグ戦は終わり、日本は2勝1分の負けなしでベスト16に進んでいる。明日はトルコ戦だ。もう梅雨入りしたが、梅雨らしいじめじめした雨はまだほんの2,3回しか降っていない。今日も湿度は高くどんよりと雲ってはいたが、雨はなかった。
夕べは連れが腹の痛みがひどいというので先に休み、俺は12時過ぎからWOWOWでやるHARD&HEAVY(ハードロック特集)の一回目、ブリティッシュ編をビデオ録画しながら見ていた。途中連れが痛みで寝られないらしく起きてきたが、1時半過ぎに二人で床に就く。シマが連れの脇にピタリとくっつき、連れの手をぺろぺろとなめてあげると、「ありがとうね」と言って泣いている。4月の手術時の傷の痛みはもちろん術後しばらくして消えたのに、内側の痛みがずっと取れない。そればかりか、最近では四六時中皮膚のすぐ下あたりに痛みがあるようになってしまった。それに時折カミソリで切られるような強い痛みがあり、寝ていても痛みで目が覚めるという。ひどいことになってしまった。
「横領だ」「詐欺だ」とこちらを罵るO氏の手紙やFAXはだんだん調子がひどくなってきている。悪意をもってこちらがO氏に対して何かを行ったことはただの一度もないのに、こちらが無償でやってあげた好意での行動は全てなかったかのようにし、その上でこちらが犯してしまったミスについては絶対に許さぬという調子なのでほとほと困っている。いくら謝罪しても取り合ってくれないし、手紙やFAXが来るたびにストレスで胃に穴があきそうだ。生半可な気持ちで「人助け」のつもりで始めたこちらも迂闊だったし、O氏が出所してからこちらに恩返しをしてくれるだろうといういやらしい期待もあったのも、今にして思えば打算的だったわけで、それもこちらがマヌケだったからなのだろう。とにかく、こちらが軽い気持ちで金を借りたのが間違いだったし、悪かったのは事実だが、反省し謝罪し返済もしたのに許してもらえないとはあまりにもひどい。
6月某日
朝9時頃、連れがバタバタしているのでどうしたのかと聞くと、痛くて寝られなかったので病院へ行くという。病院へいきなり行っても外来で待たされるだろうしと思い、病院に電話して、事情を説明して急患扱いで入れてもらうよう頼み、仕度をする。今日はブラジルのConradEditoraの仕事で、「バガボンド」で有名な井上雄彦さんのインタビューがある予定だったから、カメラや機材を用意して10時過ぎに17号に出てタクシーを待つが、全然来ない。ようやく10分ほど待って来たタクシーで手術をしてもらった都立T病院へ行き、受付で「先ほど電話した者ですが」と名を名乗るが、連絡が来てないという。思わず声を荒げて「本人痛がってるから電話して連れて来たんですよ!」と言うと、看護婦はすぐに用紙にササッと記入してくれ、泌尿器科の受付へ廻された。怒ればちゃんとやるのかよ。しかし40分以上経っても一向に名前を呼ばれず、連れは椅子の上でわき腹を抑えてぐったりしている。俺はやんわりと看護婦に「本人がひどく痛がってますので、横になるところありませんか」と言うと、泌尿器科の看護婦を連れてきてくれ、空いている診察室のベッドに連れてってくれた。最初からそうしてくれよ。看護婦も連れの様子を見て、別の患者を診察中のN先生を呼んでくれたのだが、俺がもう取材の時間なので行かねばならないというと、検査や何やらあるので、誰か居てもらえないかという。急遽お姉さんに電話するがつながらず、「電話してMちゃんに来てもらうよ」と言い残して、痛み止めの座薬を入れてもらうところの連れを置いて、心配ながら病院を出た。
新宿から小田急線で某駅に行き、駅前商店街のコンビニで収録用のテープを買い、地図を見ながら井上さんの仕事場へ向かう。長い経験上、取材などで初めてのところは迷うといけないので30分以上早く行く習慣があるのだ。どうやら近くまで来たようなので、安心して一旦中華屋で昼飯を食う。途中Mちゃんと連絡が取れ、すぐに病院へ向かってくれるというので、こちらも一安心。
その後再び仕事場近くへ行き、場所を確認してから喫茶店に入り、カメラにフィルムをセットしたり、テレコにテープをセットしたりして、アイスコーヒーを飲む。湿度が高く、ここまで歩いてきただけで汗だくだった。一服していると携帯にお姉さんから電話があり、連れのことを説明した。
井上さんの仕事場には約束の10分ほど前に着き、インタフォンを押すと自動ロックが解除され、コンクリート生ウチの3階建ての仕事場(兼自宅だろう)に入る。会議室のような洒落たスペースに通されて待っていると間もなく井上さんご本人が来る。インタビューもつつがなくなごやかに進行した。インタビューは1時間ほどで終了。
連れからメールで自宅に帰ったとあったので、とりあえず安心して帰宅。会社を切り上げて病院へ来てくれたMちゃんとは病院前で別れたそうで、結局診断は腎臓の術後ではなく、N・M両医師によれば「ストレスから来る胃か十二指腸の潰瘍ではないか」とのこと。「十中八苦潰瘍ですよ」と言ったそうだ。じゃあここで責任持って治療してくれるのかと思えば、この病院は患者が多く医師が足りず、満足なケアが出来ないから、どこかに転院した方がいいと向こうから言われたという。それで連れが勝呂名誉院長によくしていただいていた医師会病院ならというと、N先生は勝呂先生のことは良く知っているということでその場で電話してもらい、明後日にでも行くことになったという。
何はともあれ、痛みが四六時中あるというのはどんなにかキツいだろうと思うので、何とかしてもらいたい。ストレスの原因はもちろん腎臓がよくならない、いつになったらよくなるのか、自分の体が使い物にならない、といつも言っていたのでそれがあるのだとは思うのだが、それ以外にもずっとストレスがあるのだとも思う。全く自分の甲斐性無さに情けない思いで一杯だ。明けない夜はないというが、本当にどこまで続くのだろう。連れは俺が帰宅するとおかゆを自分で作ったというが、一口くらいしか食べていない様子。しばらくしてそうめん茹でたら食べるかと聞くとちょっとなら、というのでキュウリ、みょうがを刻み、刻んでチルドしておいたネギにチューブしょうがを盛り、そうめんを3束茹でる。連れは一口すすろうとしていきなり泣き出し、「ごめんね苦労かけて」というので「気にすんな」と言って二人でブラジル対ベルギー戦を見ながらそうめんを食う。といっても連れはほとんど3,4口しか食べなかった。こうしている間も常に痛みがあるという状態は、そうでない人間には理解しがたい。「気にしすぎだ」という医師の言葉は「気のせい」と言っているに等しい。現実に絶え間ない痛みに苦しんでいる患者に言う言葉だろうかと思う。
6月某日
連れは先に起きていて…というより痛みのせいであまり眠れなかった様子だ。俺は10時前に起きて、学校があるので11時過ぎには仕度して出る。外は物凄い雨。梅雨らしくなってきた、というより熱帯のスコールのような豪雨に近い。バス停に行くが5分以上経ってもバスが来ない。傘をさしていてもズブ濡れになりそうな雨で、靴もズボンもぐちょぐちょ。バスも来ないし、駅まで歩いて電車で池袋、バスで学習院下のジャナ専まで。3限を追え、4限になると生徒が10人ほどしかいない。さすがにワールドカップ、ベスト8をかけてのトルコ戦がある日なので、休みが多いのだろう。俺も教室のデカいTVで観戦させようと思ったのだが、アンテナにつながっておらず、アンテナの引き込みも見当たらないので断念。生徒に聞くと、別のクラスが3時20分まで授業をやったあと、TVが見られる放送教室で観戦していいということになったらしいというので、じゃあこのクラスもそうしていいよ、ということにする。生徒たちはもちろん皆大喜び。今日はしょうがねえよなあ。ちょっとだけ講義をして、キックオフ前に3Fの放送教室へ皆で移動。すでに別クラスの生徒が十数名いたが、うちのクラス全員入っても余裕があるくらいで良かった。タバコ吸って男の子らと世間話したあと、講師室に引き揚げる。学校の職員で講師でもある平沢さんがちょうど出てきたところで、俺が苦笑いしながら出席簿を持って戻ってきたので、「今日はもうしょうがないですよね〜、授業になりませんよ」と言われる。
名前を知らない講師の人とソファに座って、TV観戦。雨の中の試合、前半開始から10分ちょっとでDF中田浩司のパスミスをトルコがコーナーキックに持ち込み、結局ヘッドでドカンと決められる。前半の戦いぶりを見て、俺は間違いなく日本が負けるな、と確信したので先に帰ることにした。やはり名前を知らない別の講師のおじさんと世間話しながら同じバスで池袋へ。道路はさすがにスキスキで、5分くらいで到着。
6月某日
昨日の豪雨が嘘のような快晴で、朝から猛烈に暑い。タクシーがなかなか来ず困ったが、10分近くたってようやく一台バス通り側で信号待ちしているのを見つけて乗り込む。受付でT病院で連れを手術し「痛みは気のせい」「ヨソの病院へ行け」と言ったN医師にもらった勝呂先生宛の紹介状と保険証を渡して、内科受付へ。看護婦に勝呂先生に紹介してもらって来たと告げると、問診表を書けと言われ、血圧を計ってしばらく待たされてると勝呂先生が来た。右わき腹を抑えてぐったりしている三津子に「しばらく、どうしたの?」と肩に手をあてて優しく声をかけてくれ、診察室へ。勝呂先生は十年近く前、連れが急性膵炎で入院した時は院長でいらしたが、現在は名誉院長に退き、それでも外来の診察をされたり、顔見知りの入院患者を見舞ったりされている。俺も一緒に診察室に入ったが、触診するという段になって外に出て待っていた。勝呂先生はいろいろ問診して、N先生が添付したカルテのコピーやらを見て、「でも何でN先生はこっちへ来るように言ったのかなぁ」と首を傾げていた。俺の推測では、要するに手術で神経を切ったと言ったそうだが、その切断の仕方あるいは術後の処理がうまくいってないんじゃないか、ということ。で、T病院で内科が手一杯というのは言い訳で(じゃなかったら病院成り立たないだろう、新患診られないわけで)、内科に廻しても意味がないためなのだろう。だって自分が切った腎臓の手術の時の神経なんだから。それで、厄介払いというわけではないが、よそへやろうということじゃないのか。手術の場合皮膚からその下の筋肉などを神経も含めて切るのは当然だろうが、この痛がりようは明らかにひどすぎる。開腹手術を受けた全ての患者がこうなるのなら、盲腸の手術だって出来ないだろうに。なぜ連れだけがこんな目に遭わなくてはならんのか、全く納得できないし、やり場のない憤りがある。
ともかく、予想通り一旦入院して、徹底的に調べましょうということになった。入院手続きの段になり、俺は受付へ行って必要書類に記入、そのまま戻って部屋の手配をすると同時に検査やれるものはやるという看護婦の指示で、車椅子を待つ。ずいぶん待たされて、ようやく看護士の若い男が車椅子を押してきたので、三津子を乗せて2階へ。レントゲンと血液検査。全部終わってようやく5階の病室へ行くことになった。もう11時半を軽く過ぎていて、学校へ行く時間が迫っていた。病室はどん詰まりで、狭い6人部屋の、入口左のこれまた狭いスペースになった。それでも家にいても四六時中痛みがあり、食欲もない状態でうつろに横たわっているよりは安心だ。
狭いベッド周りを整え、テレビカードを買い、12時近くになって俺は学校へ行くために一旦病院を出ることにした。まず一回家に戻ろうと、高島平警察署前バス停に行くとちょうどバスが来たので乗り込み、舟渡町で降りる。バスの時間は10分少々で意外と近い。そこでもう学校間に合わないし、入院用の色々な荷物を持ってどうせもう一度病院へ行かなければならなかったので、学校に休む旨連絡する。
ボストンバッグに追加の荷物を加えて、5時頃再びバスで病院へ。バッグは結構な重さになった。俺の薄い手の皮に食い込み、物凄く痛い。しかしこれくらい連れの痛みに比べれば屁みたいなもんだろう。病院へ着くと連れはベッドの上で点滴をされて横になっていた。持って行った荷物をベッド脇の椅子かと思った荷物入れ…といってもパカンと上に開く箱に移し、面会時間終了の8時まで居て、帰宅。へとへとになってFAXを見ると、例のO氏からで、一方的で居丈高な要求がこまごまと書いてある。やれ何銀行のWEBコピーを送れだの、何について解答せよだのという、例のやつだ。金を借りたのは悪かった、それは認めて返しているし、追加でこれも無断だと指摘されたものも返すと言っている。それ以外に関しては全くのいいがかりだと言いたいところだが、向こうは窃盗や横領での告訴をチラつかせているわけで、従うしかない。
6月某日
学校のあと、病院へ。連れはベッド上で目を閉じていたが、俺が入るとすぐに目を開けた。やはり断続的に痛みがある様子で、夜は痛み止めをくれるよう頼んだがなかなか貰えず、強く頼んでようやく座薬を貰ったという。持ってきた荷物を整理して渡す。俺は病院に置いてある漫画本の中から植田まさしのを持ってきて読み始めたが、下らなくてついつい笑ってしまい、連れは俺のその様子を見てつられて笑い、腹を抑えている。そんなこんなで7時半頃までいて、「もういいよ」というので帰る。
家まで着くとやはりくたくたになっている。ポストを見ると、O氏からの手紙があった。開封すると、例に寄ってこちらへの説教やら一方的な要求がズラズラと書いてある。お前の意見はいいから、俺の指示通りのデータを送れ、と。仕方がないので、それから深夜の1時過ぎまでかかって、メールやらWEBやら、各種の画面やデータをペーストしたり、これまでにもらった手紙や貴重品の束をひっくり返したり。ノートPCも実家に送り返せというので、うちにあるPCのデカい箱にクッション代わりの新聞を詰め込み、ノートが入っているバッグを入れて荷造りした。一方的に送りつけられて、これまで保管してきた免許証コピーだの保険証だの印鑑登録証だのも刑務所に送れというので、それらも荷造り。全くもうクタクタだ。もう疲れも限界を超えている。結局指示に従って書いたO氏宛の手紙は50ページ近くになり、これの印刷だけでも1時間以上。また向こうからの手紙では、これまでの損害金額を請求する内容証明も送ったという。どう考えても俺が借りた金に関しては全面的にこちらに非があるのは認めるが、その他の言いがかりに関してはおかしい。謝罪も聞き入れられず、さすがにもうこちらの釈明も限界と思い、知り合いの弁護士に事情説明の手紙を書く。
6月某日
連れはとにかく消化器から泌尿器から、痛みの原因を徹底的に調べるというので検査検査。この日は病院へ行くと大腸検査が終わった連れがちょうど戻ってきた。こういう検査は辛いものだろうが、術後の神経以外にもし内科的な原因、病根があったら大変だから、仕方がない。ポリープが2つ見つかったので、内視鏡で切除したという。このポリープはもちろんあの痛みの発生源ではないし、誰にでもあるようなものらしい。しばらく病室で話したり漫画読んだりしていたが、連れが眠そうだったので、4時過ぎに帰ることにした。
帰宅するとO氏から百万円ほどの金額を請求する内容証明。ここに至ってもう謝罪と釈明は通じないと判断せざるを得ず、今後は弁護士に対応を任せるという手紙を書いて送ることにした。
その後連れが電話してきて、主治医二人が俺が帰った後説明に来たそうで、今回の胃カメラやら大腸やら、つまりこの痛みが腎臓以外の何らかの病根の可能性がないか調べている結果でもし何も出なければ、やはり腎臓摘出手術の際の神経切断が原因で、神経が治ろうとしている時の疼きみたいなものが強いという可能性もあるという。「神経が入れ替わる(?)までには半年くらいかかる」と以前事故で大怪我をした知り合いから聞いたことがあるが、もしそうだとすると、痛みは人によって違うので、痛み止めやブロック注射や、場合によってはペインクリニックなどで治していくしかないという。それでも、原因が解って回復を待つだけという痛みと、ワケも解らずにいつまでも痛い、何か別に疾患があるのではと心配しているのとでは全然違うし、回復に向かうのだと解れば我慢のし甲斐もあるというものだ。NHK、ワールドカップ準決勝のドイツ対アメリカ戦を見ながらご飯を食べる。久々に家で炊きたての米を食ったような気がする。
6月某日
am/pmでお茶と自分のおにぎり買って病院へ着くと12時20分。連れのベッドは空で、食事の痕跡もない。あれ、と思ってるとトイレだったらしく、点滴ぶら下げたやつを押しながら戻ってきた。ご飯はもう食べ終わったというので、カステラなどのおみやげを見せると喜んでいた。こんな些細なことで喜ぶ顔が見られるのは嬉しい。俺は一人で昼飯を食い、テレビを二人で音声小さく出しながら見たり。途中医師が血圧や体温を測りに来たりしたが、小康状態も長くは続かず、連れの腹部の痛みがまたひどくなってきたので、座薬を貰う。座薬を入れた後は痛みが若干薄れたせいか眠そうだったので、俺は読んでいた病院にあった「文藝春秋」を持って喫煙スペースで読む。しばらくしてそっと戻ると、連れはうとうとしている様子だったので、静かに側で本を読んでいたら、同室のババァに見舞い客が来たようで、デカい声で話し始めると起きてしまった。相部屋はほとんどが老婆で、耳が遠いのか大雑把なのか、あるいはその両方だろう、いちいち声がデカいわ物音も無遠慮だわで、これじゃあ大変だろう。二人で顔をしかめ合うが、しょうがない。その後も本を読んだりして、結局4時頃に帰ることにした。
6月某日
12時前に目を醒ます。自転車で行き帰りしているせいなのか、疲れが相当溜まっているようだ。連れにメールで「今起きた、後で行く」と送信。仕度をして、自転車で出る。今日も昨日と同様、半袖では肌寒いので長袖シャツで行く。病院の途中にある大きなBOOKOFFで、連れの退屈しのぎ用に本を物色。ハードカバー3冊と新書を一冊。その後東急ストアで俺の弁当、茶、おやつ用のドラ焼きなどを買い、病室へ。連れは痛みが全然おさまらず、眉間に皺を寄せながらベッドに横たわっている。お菓子と本を出すが、今度はさほど嬉しい様子もなし。よほど痛みで辛いのだろう。
連れは痛みが全然治まらないので痛み止めを頼んだら、さっき打ったばかりだからダメだと言われたという。市販の痛み止めを買ってきてくれ、というので自転車で病院を出るが、付近には調剤薬局はあるが普通の薬局がない。駅の反対側を探して一件あったので、店のオッサンに「手術後の神経がうずくような痛みに効くのはありますか」と聞くと、ビタミン剤のようなのを見せて「コレが効きますよ」という。どう見ても痛み止めには見えないので疑心暗鬼だったが、箱をよく見ると「末梢神経の痛みに」とか書いてあり、あまり期待せずに普通の痛み止めと一緒に買う。その薬は小瓶ながら2600円もしたので仰天。その後病院に戻って薬を飲ませ、今度は二人で喫煙所に行き「こんなになるって知ってたら切らなかったよね」「癌だ、っていうから一も二もなく切りましょうってことになったのに」と恨み節を言い合う。4時過ぎに俺は帰ることにし、自転車でコンビニに寄ってコーヒー牛乳を買ってから帰宅。5時前。その後仕事していると連れからメールが来て、「あの薬効いた、痛みがないのが嬉しい」とのこと。なんと、市販の薬の方が全然効くじゃないか、と複雑な気分。どっちにしても痛みさえなければ、食欲も出るだろうしちゃんと寝られるわけで、残ったMRIで何も出なければOKだ。薬に耐性ができて効かなくならなければいいが。
6月某日
学校。原価計算の内訳を3,4限ともビッチリ講義。生徒の反応は担任のクラス以外は各クラスマジメに聞いてくれるいい子がホンの数名、あとの大多数は眠そうなのや聞いてるんだか聞いてねぇのかわからん連中がおり、イヤになる。出版や編集に関わる夢があって入ってきているのか、それとも大学に入れないから単にモラトリアムとしてだらだらやってるのか、自分の人生に全部後で返ってくるだろうに。
帰りは病院へ。連れからメールでナロン(神経に効くと言われた薬と一緒に買った痛み止め)が切れたんで買ってきて、と入る。立ちっぱなしで講義してその後も電車ずっと立ってたし、足がガクガクに疲れてたのと、朝から何も食ってなかったので病院へ行く前に中華屋に入る。入ると店の女の子が掃除機をかけており、思わず「や…やってない…んすよね」と言って帰ろうとすると「やってます、どうぞ」というので肉卵定食というのを頼んでコミックバンチ見てると、運ばれて来たのは物凄い量。メインの肉入り卵焼き、たっぷりのご飯、スープ、ポテトサラダ、煮物、天ぷらまでが一つの大きなお膳に配置されている。ギョッとしたがとりあえず食い始める。味は最初はまぁまぁかなと思って食ってたのだが、最後の方は飽きてきたし、塩がメチャメチャ濃い部分が一箇所あってゲッと思ったり、逆にスープは全くの無味。何だかなぁ…とメインのおかずとご飯半分、スープだけで腹いっぱいになったので残りは全部残して税込み1020円払って出る。あんな量いったい誰が食えるんだろう。相撲取りか。
病院へそのまま向かい、売店でお茶を買って病室へ。連れは半身起こしていた。しばらくすると晩飯になったので俺がお膳を運んできてやったが、連れが「情けない」と言って泣き出したのでこっちも気が滅入る。連れには辛い思いばかりさせている。申し訳ないが俺まで泣き出したのでは救いがない。その後喫煙所でしばらく話したりして、7時に病院を出た。
バスでまっすぐ帰宅。今日はベスト4激突で韓国対ドイツ。まぁドイツが勝つだろうなと思ってみていたが、前半はほぼ互角。後半に入ってずいぶん後でついにドイツが一点先取、結局そのまま韓国の猛反撃も実らず、韓国準決勝で敗退。それにしても審判の判定に恵まれた(?)とはいえ、日本よりも2勝も多く勝ってベスト4まで行ったのは立派だ。
6月某日
学校に行くのでバス停へ。車中で懐かしいREOスピードワゴンを聞いてると、「After tonight」でジーンと来る。池袋からバスを乗り継いで学校。3限のみで、このクラスは本当に真面目で熱心。こちらをどういうワケか敵意(?)のこもった目で見るガキもいない、本当にいいクラス。原価計算をじっくり教える。韓国からの留学生の朴さんに「韓国残念だったねぇ」とちょっと話し掛ける。講義を終えてすぐ薬局でナロンの大きい箱を買い、病院へ。
連れは起きていた。朝メールがあり「痛みがひどくて朝ごはんが食べられなかった」というので買ってきた薬を渡す。この手の痛み止めはあまり習慣のように飲むのはまずいと思うのだが、痛みが絶え間なくあるというのだから仕方がない。
家に帰ると連れからメールで、「明日退院していいって」とのこと。あらゆる検査をしたが、結局他に悪いところはなかった。ということは手術をしたT病院でのN医師の手術そのものが原因でこの痛みは発生していることになるのではないだろうか? そもそも癌だと言われたから一も二もなく手術に同意したわけで、それが癌じゃなかった、であればこんな結果になることを説明されていれば悪性腫瘍でもないのに手術に同意などしなかった。医療事故ってこういうことを言うんじゃないのか? とさえ思う。開腹手術をするのなら当然皮下を走る神経を切るであろうことぐらい承知している。だが全ての開腹手術経験者がこうした間断ない痛みにまともな日常生活を奪われているのだろうか? 何にせよ連れが家に帰ってこられるのは良かったので、明日早朝から迎えに行くと返した。連れは俺の学校あるから明後日でいいよと言っていたが、病室にいるより早く家に帰りたいだろう。
6月某日
朝9時半頃連れからの電話で起きる。朦朧としていたが何とか仕度して病院へ向かう。同室のお婆さんがたにも「お世話になりました」と挨拶をして会計を済ませ、タクシーを呼んでトランクに荷物を詰め込み、舟渡へ。家に落ち着くと11時頃。その後学校へでかける。帰宅して夕飯の支度。もやしと豆腐の味噌汁を作り、キャベツを刻んで買ってきた豚肉と冷しゃぶを作る。連れは風呂のスイッチを入れているようだったが、俺がご飯を並べても来ないので見に行くと、風呂場の前で泣いていた。痛みもあるし、思うように動けないので情けないらしい。せっかく退院したのだからと励まして一緒にご飯を食べる。連れは食欲がないようだったが、俺がせっかく作ったのだからと思ったのか、無理に食べている様子だった。今後は「原因不明」というものの現実に存在しているこの痛みを治療するため、ペインクリニックのあるN大病院で治療を受けることになった。
6月某日
深夜2時過ぎ、布団に入って一旦横になったものの三十分も経たないうちに連れが痛がりはじめ、体を二つ折にして半身を起こして唸っているので、「救急車呼ぼうか」と聞くが、どうせ何もしてもらえないからという。しかしこれでは俺も寝られないし、寒気もするというので、N大板橋病院に3時半頃電話をするが、予想通り紹介されて行く予定だった麻酔科のペインクリニックは深夜で機能していないと言われ、手術を受けた病院か入院していた病院に行けと杓子定規に言われてしまう。今困っている患者などどうでもいいということだ。手術を受けたT病院へ行くのは論外なので、退院したばかりの医師会病院に電話して事情を説明すると、来てもいいというので仕度をする。退院時に貰った薬や保険証、診察券、財布や携帯などをビニル袋に入れて、タクシーを呼ぼうと東京無線に電話するが5分ほど待たされて結局車なし。中央無線は何とか見つけてくれ、4時頃になってようやくタクシーが来た。
10分ほどで医師会病院に着き、夜間窓口へ行くと係の男が待機していて、長椅子で待てと言われる。係りが病棟から連れのレントゲンやらを持って来て、当直婦長さんがカルテを見たりしてる間10分以上待たされ、ようやく救急室に通され、横になることが出来た。俺は血圧や体温を計っている間、N大病院に持って行くレントゲンやMRIのフィルムを受け取って横の丸椅子に座っていたが、そこに当直の医師(内科の國分医師)が現れて問診。ほとんど俺が説明した。この先生はよくいる「聞かれたことだけ答えろ」系の不遜な人ではなく、こちらの言うこともよく聞いてくれた。カルテもじっくり見て、他の病気の可能性もないし肝臓その他の数値も安定しているので、手術の際の神経断裂か切断、これによる痛みではないかと言う。こちらの推測通りではある。ただ、要するに医師会病院に入る前の段階に逆戻りして、痛みがさらに増しているだけだ。
國分先生はとにかく今問題なのはこの激しい痛みそのものであることはわかったが、それをこの場でただちに止めるということはできない、という。それはそうだろうな、と困って「ただ痛みで食事も出来ないし、睡眠もとれないので…」と言うと、入院して栄養補給のために点滴を打って、そこからペインに通うこともできるけどどうしますか、とのこと。連れは入院はもういいというので、週明けにペインに行くまでの間の痛み止めなりを処方してもらえませんか、とお願いする。モルヒネなどの麻薬系の薬は強いし習慣性もあるので勧められないが、てんかん発作の治療に使う薬が神経の痛みにも効果があるので、それを処方してくれることになった。本当によくしてくれる先生だった。また俺が高島平の薬局で買ってきた神経の薬を見せると、「これはビタミン剤ですよ。要するに神経の修復を促すビタミンを補給する薬ですね」とのこと。なるほど。で、それも処方してくれるという。この薬は一瓶60錠入りだが2600円もして、それももう四分の一ほどしか残っていない。処方してもらった方が安いから助かる。
薬局が空く朝まで点滴と、痛み止めの注射を打ってくれるというので、処置室へ行くことになった。連れが車椅子で処置室に行き、俺は荷物をそこに置いたあと診察券を返してもらって夜間窓口へ行き、最初に応対した係に保険証と渡すと、預り金として3000円取られ、いつでもいいから受付が空いたら清算してくださいと言われる。処置室に戻ると点滴の準備は終わり、連れが婦長さんに「点滴が終わるまで主人もここで仮眠させてもらっていいでしょうか」と聞いてくれると、「ええいいですよ、どうぞ」と言ってくれたので、俺は隣のベッドで待つことにした。間もなく國分先生が来て、太い痛み止め注射を一本点滴の途中から注入を開始。少しずつ入れていくのだが、これが激痛を伴うようで、連れの細い腕は小刻みに震えて顔も歪んでいる。「これ、神経痛より痛いです」と言って口を抑えていた。先生はゆっくり注射を終えると「じゃあ点滴が終わる8時頃、もう一本打ちに来ますからね」と言って出て行った。なんだかんだで5時半近く。そのあとは連れの隣のベッドに横になり、二人でいろいろ話す。少し痛みが和らいだ様子なので、俺は一旦外にタバコを吸いに行ったあとベッドでうとうとした。
7時頃目が覚めて横を見ると、連れは寝られなかった様子でこちらを見ていた。俺は凄いいびきをかいていたという。そのままベッド上で二人で話しながら点滴が終わるのを待つ。8時過ぎに点滴が終わり、婦長さんを呼ぶと最後の小さい点滴に交換され、「これでおしまいですからね。これはオマケみたいなもんだから」と笑って出て行った。俺はその間に会計と薬局へ行こうと、処置室を出る。
病院内は来た頃のシンとした様子から一変して内科の前は大混雑。会計をすると600円ほど返却された。その後一旦処置室に戻り、薬局行ってみるというと「マクドか何かなら食べられそうだから買ってきて」と言われたので、じゃあ点滴終わったら病院の待合室で待っててといって、出る。出張所向かいの調剤薬局に着くとちょうど9時で、薬局も9時からだったので処方箋を出して待つ。もうこの十日ほど入院、病院行き、学校と病院通い、退院、家での世話、さらに今日とさすがに俺もヘトヘトで、眩暈と動悸がする。それでも俺が倒れたらお仕舞いだ。全く何で俺たちはこんなひどい目に遭わなければならないのだろうか、などと考えながら薬が出来上がるのを待つ。間もなく薬4日分を受け取り、800円ちょっと支払って出て、団地の方のモスバーガーに入り、ハンバーガーを頼む。それを受け取って病院に戻る途中、ちょうど人を乗せたタクシーが病院前で停まったので、運転手に「この後お願いします」と頼み、受付前の椅子にいた連れを呼び、タクシーで帰宅。10時近かったか。帰宅後はソファで脱力、寝てしまう。