デジタルG編集長日記
2002−11

ボブ・サップがいいヤツだということはフジ「すぽると!」で最初に見た時からわかってました。
11月某日
 松井がFA宣言し、メジャーに挑戦するという衝撃的なニュースを見る。MLBはここ数年野茂から始まってイチローが渡米してからは特に、BSでよく放送するのを見てすっかり虜になっている。日本人大リーガーもずいぶん増えた。イチローはその振る舞いを「求道者」と見てたたえる向きもあるのだが、何故かどうしても人間としては好きになれない。最初の年に首位打者を取って、その頃は応援もしていたのだが、余りにも取材への対応が悪すぎる。

 これはサカーの中田ヒデにも言えることだが、彼らには彼らなりの言い分があるのは承知している。つまり自分らのやっているスポーツについて聞け、と。聞くからには勉強してちゃんと聞け、と。日本のワイドショー的な取材に辟易して、海外へ出てからもそうした取材を受けるのは溜まらんという心境には同情できる。無知なレポーターにはこちらも不快感を覚える。だがしかし、プロスポーツ選手は見られてなんぼである。ファンあっての商売だ。いやまさしく、彼ら現役の選手がどう思おうが「商売」なのである。求道者たりたければアマチュアでひたすら自己満足のために極めるという道もあろうが。ともかくプロであるならば、マスコミの向こうには数多くの「ファン」がいることを理解してもらいたい。松井はそういう意味では、少なくとも日本ではどんなに調子が悪くとも、きっちりと取材に対応している。メジャーに行って変にスカした勘違い野郎にならなければいいのだが。
11月某日
 夕方清竜丸へ。カウンタに途中からいつも一人で来る顔見知りの客、Hさんが釣りで取ってきたという魚を鍋にしてもらい、美味しくいただく。他の客が帰ったあとHさんとブリティッシュ・ハードロックの話題などで意外にも盛り上がる。
11月某日
 なぜか朝6時過ぎに目が覚めてしまい、7時頃起きてWOWOWで映画をずっと見る。前に見たアシュリー・ジャドの「ダブル・ジョパティ」、続けてシルベスター・スタローンのF1もの「ドリヴン」、連れが起きてきて一緒にトム・ハンクスの「キャスト・アウェイ」を見る。
11月某日
 学校へ行く途中池袋で新栄堂書店で連れに頼まれていた佐藤愛子の「遺書」を探すとすぐに見つかったので、連れが読みたいけど買うまでもないと言っていたが田中真紀子の秘書が書いた「裸の女王様」の2冊を買う。そのままバスで学校。3限は前に比べるとまぁマシな雰囲気になってきたが、問題は4限目。ペッチャクチャしゃべってる3人組の女の子がおり、そのうちの一人は前の席にいるが、常に半身で、携帯をいじくりながら後ろにしょっちゅうちょっかいを出している。後ろの子は俺が睨むとさすがに顔をうつむけてノートを取るフリをするが、前の子はお構いなし。で「おい!」と言うと自分だとは思わず相変わらず携帯いじくってるので、「お前だよ!」と怒鳴り、「前向け前!」と言うとふて腐れたツラをして前を向き、それでも携帯から目を離さない。しょうがないので「講義聞く気ないんなら帰れ! 他のヤツの邪魔するぐらいなら出てけ!」と怒鳴ると、乱暴に荷物をまとめて本当に出て行った。頼むからやる気がないなら大人しくしてるか、来ないで欲しい。男なら張り倒せるが女の子ならそうもいかん。

 この日は夕方、5年ほど前に卒業した俺の教え子一期生で、編集プロダクションに就職したU君と飲む約束があったので赤羽へ行く。開店した直後の店に入り、ビール飲みながらつまみを適当に頼み、話を聞く。要するに会社の体制が変わり、やってられないので辞めたいという話なのだが、後のことをキチンと準備してからにしな、とアドバイスしておく。日本酒に移行して二人で5合ほど飲み、8時過ぎだったか、俺が会計をして店を出たあたりで別れる。店を出る頃には店内満員。
11月某日
 連れと西川口のお姉さんのマンションへ向かう。新しいパソコンを買って古いデスクトップを処分したいのだが、HDD内のデータを消さないとプライバシーが心配とのこと。出前でお昼をいただいて、部屋にあるデスクトップを見せてもらう。なるほど富士通のデスクパワーで、win95モデルだから今使うにはちょっとなぁという感じではある。早速ドライバやらを借りて分解。このマシンは増設や拡張には非常に不親切な構造になっていて、HDDはFDDとCD−ROMドライブの一番下にあり、CDとFDのドライブも外せない。しょうがないのでサウンドボードやら中の配線などを全部外し、HDDも外からだが使えないように破壊して、ふたを閉める。お姉さんには「このまま粗大ゴミにもってってもらっても、中のデータは使えないし、マシンも流用できないはずですから」と伝える。その後は夕方西川口駅前の居酒屋でお姉さんにご馳走になって、帰宅。
11月某日
 クライアントさんからプレゼン依頼のメールが来ていたので、一度お会いするということになり、市ヶ谷まで出かける。
11月某日
 朝メールチェックすると、ジャナ専の卒業生で在学中に俺にインタビューをしたことのある生徒だというT君からメール。ぶんか社に入り今は某月刊誌の編集部にいるというが、紙面リニューアルがあり、ぜひ企画も含めてお話を伺いたいというので、今月一杯プレゼンで忙しいから来月ならと返信。卒業生が編集業界に入り、一緒に仕事ができるようになるというのは嬉しいことだ。夜T君から電話があり、来月では遅く、できれば早々にお会いできませんかというので、それなら明日しかないよというとそれでいいというので、明日学校の後会うことになる。
11月某日
 学校、3,4限出版史の講義。今日はやる気のない2年生のクラスだが、3限目の雰囲気はずいぶんよくなってきた。こちらは生徒がやる気なかろうが熱心にやっているし、話も戦前・戦中と学校で教わらない戦争の話も含めてビッチリやったので、面白かったのだろう。問題の4限は、生徒が10人ちょっとしかおらず、ほとんどがサボり。がっくりくるが、講義を始めるとそのうち半数以上が寝始める。それでもキッチリ一生懸命講義していると、やはり戦争の話は聞いたことがあまりないようで、後半は寝ていた生徒も起きたし、最初は眠そうだった子も最後は目をらんらんを輝かせて熱心に聴くようになっていた。

 帰りはそのまま池袋まで歩き、西口に出て芸術劇場下のオープンカフェでカプチーノを頼んで一服して待つ。5時過ぎにぶんか社のT君が来たので、そこで編集している月刊誌のリニューアル企画などについて話す。
11月某日
ポールの登場シーン。ポールの演奏シーン。  ポール・マッカートニー日本公演。学校の帰りに後楽園へ行き、連れと合流。ドームのアリーナ席で高校時代のバンド仲間Uと、同級生だったKと合流。二人ともこちら同様筋金入りのビートルズ&ポールファンだ。今回は正直言ってどれくらい衰えているか、を見に行ったドームだったが、結論から言うと「最高」だった。ビートルズナンバーをたくさんやるという触れ込みで、「昔の名前で出ています」的なトホホ感があるのではということと、前回のドーム公演(りんだ健在の頃)の音が最悪だったので、今回もあまりサウンド的には期待してなかったこと、そして還暦を迎えたというポールの声そのものの衰えを確認するというちょっとヒネた気持ちで行ったのだが、いやはや驚いた。個人的にはビートルズナンバーもいいけど、ソロ初期やWINGS時代の懐かしい曲が嬉しかった。アレンジもオリジナルの演奏にほぼ忠実にやってくれたのがファンには嬉しかったし、そして何より、ポールの声が全く衰えていないことにいい意味で期待を裏切られたという感じ。

「Maybe I'm amazed」なんかはもう「やって欲しいなぁ」と思ってたナンバーなんで、かかった時はジーンとくるぐらいだったけど、ドラムのボブ・サップ(似)のパフォーマンスがスクリーンに映る度に笑いを誘われてしまったのがちょいと残念。しかしアリーナ席からステージまでは100mほどの近さだったしサウンドも今回はなかなか良かった。あと芸能人、会場で秋野陽子と玉置浩二を見たけど「私は芸能人よ」「見なさい」というオーラをプンプン出してた秋野、全く存在感を消して俺らと同じくらいの席にそそくさと通る玉置、の対比が面白かった。

 帰り10時半を過ぎてU、Kと連れの4人で春日で飲み屋を探すが11時で閉店が多く、結局12時までという喫茶店に入りビールで「反省会」。終電で帰宅。
11月某日
 舟渡の駅前の喫茶店でぶんか社T君と打ち合わせ。1時間ほど前向きな打ち合わせをして別れる。帰宅後は企画のネタと資料集め。その後は2時過ぎまで日テレ「ブラックワイドショー」を見て笑い、先に布団に入り佐藤愛子の「遺書」を読む。ここ数日寝る前に読んでいたが、今日で読了。

 佐藤愛子の「遺書」は、ここ数年で読んだ本の中で一、二だった。心霊世界の肯定ということに異論はあるだろうが、何よりも心の持ち方、日本という国の現状、社会や親のあり方などなど、全てこれまで俺が思ってきたことと完全に一致していたので驚いた。

 日本人はいつも神の存在を意識し、自然に感謝し、恥という意識を持って生きてきたこと。俺は特定の宗教への信仰は無いが、内なる神あるいは仏、そして霊の存在は信じてきた。それらがこの本では、壮絶な心霊現象、怨霊との戦いや、その時々に自分を導いてくれた霊能者たちとの出会いなどを通じ、こんな言葉というか表現はおかしいのかも知れないが「圧倒的な説得力」を持って語られており、自分の中で疑いようのないものとなった。そして何より、神の存在を疑うことがこれではっきりと無くなった。そして霊も。自分を守ってくれる霊は居る。神も存在する。しかし、俺は今まで「神がいるんだったら助けてくれ」「ご先祖様の霊がついているんだったら、何とかしてくれ」と頼るばかりだった。神は人間を作ったが、社会は人間が作った。だから人間の世を改善するのは人間にしか出来ないことなのだ。自分に守護霊がいてくれても、霊は見守っているだけだ。自分のカルマは自分で浄化せねばならない。霊は時にはがゆい思いをし、時に目を覆い、時に微笑みながら見守ってくれているだけで、現世を生きる俺たちに直接手を触れて手助けをしたり、自分固有のカルマをゆがめることはしない。そのことがまた新たなカルマになってしまうからだ。これらのことがこの本で明快に、疑いようのないことになった。霊的なものを肯定する人はもちろん、否定する人も読んでみるべきだと思う。
11月某日
 清竜丸のマスターの友人が新宿でライヴをやるというので連れと出かける。区役所の裏通りのルノアールで一服しているとマスター夫妻と常連さんたちの知った顔がぞろぞろ入ってきてびっくり。マスターが「あ!何だ、白取さんたちもここに居たんだぁ、ちょうどよかった」と言って入ってきて、ライブは5時入場だからと皆で一服。5時過ぎにライブハウスへ向かうと何とほぼ満員。俺はてっきり席が予約してあるのだと思ったが、5000円取られて店内の席を物色するが、どこも取られていて座れない。しょうがないので、中年の男女3人組のテーブルにまぜてもらった。

 ライブはマスターの友人グループが最初で、ベンチャーズやビートルズなどのコピー、定番のオールディーズの演奏。ドラムが異常にうまかった。お客のほとんどは中年の男女で、こういう生演奏というかライヴそのものにあまり慣れていないというか耳が肥えてない客が多いようだった。相席の中年のおっさんも見当違いの感想を喋っていたのが微笑ましい。2つ目のバンドはロックン・ロールで、こちらはなかなか良かった。その後皆でカラオケでもということになり、ゾロゾロとカラオケボックスへ行く。12時近くまでいてお開き。俺らは清竜丸マスター夫妻とタクシーに乗って、二人のアパート前で別れて帰宅、1時過ぎ。
11月某日
 学校で講義の後、池袋のビックカメラへ向かう。こないだ依頼されたプレゼンはA4雑誌の内容見本もいるが、今のプリンタではA4タチキリ印刷も出来ない。思い切ってA3ノビが出せるプリンタを買うことにした。4階の売り場でこないだ見て「すげぇ」と思っていたEPSONのPM-4000PX、7万近い金額だが値段と性能から言ってもうこれしかない。結局分割(笑)で買うことにする。
11月某日
 T君に依頼された雑誌の企画ページの記事を送ってもらった資料を見つつ書く。一段落して夕方相撲を見る。朝青龍が若の里を破り、1敗のまま優勝を決める。何せ今場所は貴乃花が休場、場所に入って魁皇、武蔵丸、千代大海が相次いで休場という横綱不在、大関も2人休みというしょうもない場所。優勝は大関として当然だろう。3敗も一人もいなかったんだから、何だかなぁという場所だ。それでも朝青龍はまだ22歳ながら、日本人の忘れたガッツというか闘争心むき出しのところがなかなか気持ちのいい力士だ。このまま行けばいずれ横綱になるだろうな、と思う。
11月某日
 T君の仕事を一日中。テキストが長いということだったので減らし、送られてきた資料の本をスキャンしてラフをイラストレーターで作って画像で送ったり。結局本は向こうでスキャンすることにし、あとはデザイナーにお任せということになる。やれやれ。次はすぐに年末進行の記事だが、これは来月頭と余裕があるので、とりあえず別のプレゼン仕事を仕上げないとならない。それでも一仕事終えたので、夜は一杯やる。
11月某日
 NHKでシベリアの湿地帯に生きるアムール虎などのドキュメンタリを見る。もはや350頭しか生息していないといわれるアムール虎だが、スタッフの根気ある撮影の成果か、冬と夏の行動が撮影されていて、興味深かった。特に、繁殖期以外は単独行動を取ると言われていたはずの子連れの母虎が、父虎と親子で行動している映像は貴重な映像。100年前も同じ生活をしていたのだろうと思われる、素朴な村のシャーマンや老夫婦(日本人だと言われてもそうかと思えるモンゴロイド)、スケールが大きく、それでいて全く俗化されていない広大な自然も凄かった。

 しかし後半、密漁のために殺された虎の映像(密猟者が撮影したもの)はショッキングだった。ワナに右手を囚われ、身動きが出来なくなった虎は密猟者に取り囲まれているのだろう、カメラをジッと見据えて視線を外さない。その目は「貴様ら、この所業を忘れるな」と訴えているようで、胸が痛む。そして、容赦なく銃弾が打ち込まれ、ゆっくりと巨大な虎は崩れ落ちた。密漁は、手っ取り早く現金収入になるために地元の人間が行い、国境を挟んだ中国人に売るという。皮は敷物に、骨は漢方薬として珍重されるのだが、それらを喜んで中国から買っているのは日本人が多い。さらに、このアムール地方の広大な原生林も、ブラジルのアマゾン流域のようにどんどん森林伐採でハゲ山が増えていた。その木材のほとんどがやはり日本に輸出されているという。前半の美しい自然、威厳あふれる虎、山猫や熊などの映像、素朴な住民…という映像の後だけに、いろいろ考えさせられるドキュメンタリだった。
11月某日
 連れが前に買って読んでいた「神仙の人・出口日出麿」を布団で読む。出口王仁三郎の娘、直日の夫・出口日出麿の半生記だが、これが読み始めると面白く、連れが寝た後も読み続け、結局起きてソファで朝4時まで読む。

 大本教はよく昨今のいわゆるカルトと同一視されがちだが、神道の形態を取っているものの、あらゆる神・宗教は同源であり、究極的には人類全ての平和を祈念するという平和的な教義には共感が持てる。確かに出発は出口なおの「お筆先」が神がかりとして話題になったり、王仁三郎が超能力者とされたりというセンセーショナルな部分がクローズアップされることが多い。

 この三代目教主の夫となった日出麿はこの本が出るまではあまり世間一般には知られていなかったと思うが、明治30年岡山県倉敷で生まれ、旧制岡山六高時代から優れた霊感を持ち学友を驚かせていたという。大正8年大本入りをし昭和3年三代教主直日と結婚することになるのだが、第二次大本事件(昭和10年〜昭和20年)では4年間獄中に囚われ、その間当局からの凄惨な拷問を受けて「発狂」、精神病院に収監された後教団に戻されるのだが、この発狂は大本によれば「この事件以来、教主を霊的に補佐し、万民の霊的救済に専念する」ための境地に達したということで、日出麿は本当に狂ったのではなく獄中ではそれを装い、さらに放免後は神との交信や交霊のために周囲からは異常に見える行動を取ったのだ、ということになる。

 もちろん、一般的にはあまりに凄惨な拷問と独房生活により精神に異常をきたした、で終わりなのだが、この本を読む限り高名な医者も精神分裂ではないと断言し、またその後の芸術活動や言動も多くの人に「狂人ではあり得ない」と確認されているところを見ると、ならば、特高の悪名高い拷問にも耐え転向せず、信仰を貫いたことだけでも物凄いことだと思う。さらに書かれている数々の「奇跡」が本当だとすれば、これは大変な人だと言わねばならないのだが。

 日出麿は平成3年に96歳で亡くなっているのだが、晩年は側近と囲碁を打つことで卦を行っていたという。とにかく教団側から書かれたものだから全てが真実であると言い切ることは出来ないにしても、後を絶たない最近の下品で野蛮なカルトの連中とは全く違う魅力的で高潔な人であったという印象だ。

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