デジタルG編集長日記
2003−1
頼むから今年はいい年にしてよ、2003年。
1月某日
年末年始はいつもいい天気なはずだが、今年は雪になるかも知れないという予報。しかし結局起きても雪はなく、止まっていったMちゃんの旦那はゆっくり目に出かけていった。その後三人でお屠蘇に縁起物だからと日本酒を一杯だけ飲み、おせちと雑煮を食べる。俺は塩抜きしておいた数の子を台所で皮むき、ずっと立ってやってたので肩がガチガチ。その後ジップロックに入れて冷蔵庫へ。連れは午後酒でいい気持ちになってソファで寝てしまった。夕方はYちゃんと長女のM、生後四ヶ月のSが来る。子供と赤ん坊が3人で大賑わい。Mにデジカメ渡して撮影させたり、おせち食ってビール飲んで宴会。Mちゃんの旦那が仕事から帰って来てからも宴会は続き、Yちゃんたちは9時前に帰っていった。12時頃俺も寝る。
1月某日
昼頃旦那が車で来てくれたので、初詣に東京大仏へ行く。俺はビデオを廻し、Y初めての外出を記録(笑)。外は好天が続いていたものの寒い日ばかりだったのが、久しぶりに好天かつ14度近いという温かさで、良かったねと話す。大仏のある寺の駐車場がちょうど空いていたので車をいれ、階段を上がってお参り。お参りには行列が出来ていた。その後おみくじを引くと末吉。ただこれまでの悪いことは良い方へ全て向かうということで、ちょっとだけ心が休まる。連れは小吉だったので、二人ともおみくじを結んできた。その後大仏の方へ行き、「大仏そば」へ。待ちの客が数名いたがすぐにまわってくるだろうと待つことにするが、店員の客さばきが下手というか、手順が悪いのとで全然進まない。ようやく座敷に上げてもらい、お茶が出て注文するまで5分、薬味が来るまで5分、鴨汁が来るまで10分、さらにそばが来るまで5分という感じ。えらい待たされてようやくありついたが、鴨汁せいろはなかなか美味だった。そばは十割なのか、ぼそぼそでちぎれ気味だが味は良かった。その後西松屋でおむつとおもちゃを買い、スーパーで買い物をして帰宅。夜は野菜鍋。水菜やネギ、白菜、春菊、もやし。あと豆腐とつみれが少々、ビール飲んで12時過ぎに寝る。
1月某日
立て続けに電話があり、ぶんか社のT君が「今週中に一度打ち合わせしましょう」とのこと。O社のNさんは「一度印刷の方と(漫画の入稿について)打ち合わせしてもらえますか」とのこと。いよいよ世間はお正月は終わり、仕事開始だ。
夕飯の食材がないので、自転車でスーパーに買い物に行く。今日の豚しゃぶの材料、明日のカレーの材料。ていうか物凄い勢いで米やら食材がなくなって行く。俺ら夫婦二人だけの場合の倍どころじゃない、3倍以上のスピードだ。Mちゃんの旦那は食欲が凄く、食いっぷりがいいので俺も料理のし甲斐があるというものだ(笑)。
1月某日
今日はMちゃんの旦那が休みなので、どっかドライブでも行こうよということになっていた。支度をして西新井大師へ行くことになる。Mちゃんの安産祈願の護摩を炊いてもらったお札、無事出産できたので納めに行こうということで、まず赤羽のMちゃんちの前の道路に車を停め、旦那がお札を取って戻ってきた。その間に連れは近所の店に観音様に返すための塩を一袋買いに行き、西新井へ向かう。Yは終始大人しく車に揺られていた。本当に外では手のかからない子だ。大師様付近は駐車場が一杯だったので、ぐるりと回って住宅街の道路わきに路駐、歩いて大師様へ向かう。俺はビデオを廻しつつあるく。境内の横から入る門を見つけ、本堂へ向かう途中はお祭りのように縁日が並んでいて、まず観音様にお塩をお返しして、それから本堂脇にあるお札の納め所でMちゃんがお札を返し、本堂にお参りして縁日へ。
みんな小腹が空いていたので、玉こんにゃくを買い一個ずつ食べ、きりたんぽを買う。きりたんぽはまずかった。次にホットコーヒー牛乳を飲もうと思ったが店の人が不在で断念。その後つらつら歩き、中で食べられるというので缶のお茶3つ、ヤキソバ2つと牛カルビ串を頼み、テントの中に座って皆で一服しつつ食べる。やきそばはちょっとぼてぼてだったが外で食べるとうまいのは不思議。牛カルビ串は予想に反してなかなか美味だったので旦那と「けっこううまいね」と感心し合う。たったそれだけで2200円ほど払って出て、帰路に屋台でMちゃんが焼き芋を一個買って車に向かう。最初はそうでもなかったが、この頃になるとけっこう寒くなってきた。それでもYは大人しく抱かれている。帰宅5時前。6時過ぎまで一服して、車で「清竜丸」へ行き、夕飯。
1月某日
「清竜丸」でT君と雑誌の企画について話しつつ飲む。途中カウンタに来た近所の不動産のオヤジが会話に入ってきて、最後はなぜかビールおごってもらった。何だかなあ。
1月某日
今年の学校始め。この日Mちゃんたちは自分の家に引き上げることになっていたのだが、俺は学校だったので11時40分のバスで池袋へ。3組の流通は試験前の最後の授業だったがほとんどカリキュラムは終わっていたので、サラッと流して質問を受けて、オワリ。帰宅すると連れが脱力していた。Mちゃん夫婦はYを連れて車で引き上げて行ったという。それにしてもクリスマス前から3週間、家に常にMちゃんとY、夜は旦那が必ず来てメシを食って行ったし、泊まったことも多かった。その間俺と連れはひたすら旅館の夫婦みたいにアレコレ世話をやき、くるくると働いた。いやはやにぎやかでアッという間の年末年始だった。
1月某日
前の晩気持ちが悪く、夜中に起きて大量に吐く。朝方再び起きて、今度は胃液を吐く。当然とても学校へは行けないので休講にしてもらい、ソファでぐったり。夕方にはほとんど復調し、夜は寝る前にカップヌードルまで食った。どうやらMちゃんや連れもかかった吐き気を伴う風邪だったらしい。
1月某日
学校。2年生の卒制3限、今日で版下を全部そろえると言っておいたのに、表紙とノンブル他デザイン担当のN君がまた来ない。さすがにもう猶予はならんのでノンブルは俺が作り、編集後記と目次も俺が作って出すから残りを必ず火曜日までに持ってこい、もう言い訳は聞かんと伝えさせる。教室のレーザープリンタの調子が悪いので職員でDTP関連の講師でもあるHさんに見てもらい、出力可能になったところで一気に作業をさせる。俺はノンブルを出して貼る手はずを整え、皆に指示をして一旦本校舎へ。そこで1年生の会議を終え、また実習校舎に戻るとまだ若干名が作業中。とにかく今日で終えること、後記は俺宛にメールしろと指示をして、しばらく様子を見て5時頃バスで池袋、まっすぐバスで帰宅。ここまで卒制誌が伸びたのは前代未聞。
1月某日
買い物に出てお昼を食べ帰ってきた後は、2年生の卒業制作誌「キリンの首」の目次や、入った編集後記の版下を作る。女子はほぼ全員がスパッと言った通りテキストやファイルをキチンと送ってくれたが、相変わらず男子連中は一人も送って来ない。先生に尻拭いをさせている上に言った通りにテキストすら送れないとはどういうことかと、掲示板に「早く送れ、このアホども!」と書き込むが効果なし。最後までやきもきさせてくれるよなあ。
1月某日
深夜WOWOWで吉本の千原弟がいい演技をしている映画「ポルノスター」をオワリまで見てしまう。麿赤児が殺されるシーンで、切られた麿がテーブルにつっぷし、その時テーブルの上にあった枝豆が三つ、麿の坊主頭の上に乗っかったまま死んでるというシーンが良かった。あとはわけわからん。寝たのは4時半。
1月某日
朝11時40分ギリギリに行ったがいくら待ってもバスが来ない。北風が強く冷たい中、結局25分も待って来たのは次の12時のバスだった。運転手を殺そうかと思ったが逮捕されるのは嫌なので視線で殺人光線を出すにとどめる。時間前に来て待ってりゃ遅れるし、ギリギリに行けば早く通り過ぎるってどういうバスだよ。学校は流通の試験2クラス監督。答案を集めてみるとダメだと思ってたやつが最後の欄に殊勝なこと書いてくれたりして、意外だった。4限終わったところで2年生のN君が入ってきて、出力がどうしてもうまく出なくて、と言ってくる。版下は先週の木曜が締め切りだったはずで、Nのために火曜に伸ばしたわけだ。それも昨日できてなくて今日になったわけだから、四の五の言わんで今日中に用意しておけ、と言う。大人の仕事では納期を守るということも大事なのだよ。
1月某日
朝から雪。ボタン雪のような大粒の雪がひらひらと降っていて、寒い。8時半頃目が覚めてしまったので、レベッカのCDからMDにベスト版を作ったりする。11時40分のバスに乗るのでバス停に行くと、この頃にはもう雨になっていたが、珍しく5分ほどの遅れで来る。そのバスも雪が降ったせいか寒いせいか年寄りがおらず、ガラ空き。バスの最前列の椅子でレベッカを聞きながら池袋へ。何でレベッカかというと先日昔のCDを引っ張り出したからである。
それにしてもレベッカ、Nokkoのボーカルは凄いな、と改めて感心する。もう15年ほど前の曲にしても、今の女性ヴォーカリストでもそうそうこんな才能はいないな、と今もって思う。声量も凄いが、音感というかリズム感というか、「楽器としての喉」の優秀さを感じる。今ようやく歌のロクに歌えない「アイドル」の時代が終わってアカペラブームだったり、「実力派」の時代だと言われたりしているが、そんな中でも本当に優秀な楽器(喉)を持ってるのは少ないし、持っていてもアドリブが下手だったり、オリジナリティに欠けてたりと、感心するアーティストはそれほど多くない。だいたい今人気だとかTVに出まくってる連中の中で、どれだけの「ヴォーカリスト」が「じゃあAの音」「この曲Gからにコードチェンジ」とか言われて即座に対応できるかというと大いに疑問だ。レベッカを最初に聞いたのは俺がまだ巣鴨に住んでたときで、確か「Love is cash」がヒットする直前くらいで、深夜番組でミニライブをやってた時だから、もう18年も前だ。これは物凄いバンドだ、と思ってすぐ次の日レコード屋に行ってLPを買った。それから「BROND SAURUS」まで、出たアルバムを全部買った。レベッカはその後「76th star」「Friends」「Lonley butterfly」…と順調にヒットを飛ばしてトップバンドになって行ったが、最初の頃の曲に今でも好きな曲が多い。そんなことを懐かしく思い出しながら聞いているとバスは珍しく順調に30分ちょいで池袋に着いた。
3限、念のため用意してあった生徒たちの完成させた版下を持って5階に上がり、出席を取った後「みんな出来てるんだろうな」と念を押すと、来ている連中は皆出来たというし、N君はまたサボり。Nと仲のいいS君らに聞くと「出来たって言ってましたよ」というので、じゃあ印刷所に送ってくるから、と事務室に戻る。
袋を貰い、版下を全ページあるか確認して、梱包して印刷所に発送してもらうようお願いする。この段階でN君がやるはずだった表3のデータと出力見本がないので、すぐに印刷所に電話して急遽印刷所の広告を入れてくれるようお願いする。
生徒たちの作った版下はあれほど言ったのに写真の出力を網点で出してなかったり、絶対つぶれるであろうアミの上に文字を載せていたりと不安だらけだが、もう時間もないししょうがない。失敗も結局自分らのせいなのだ。あれほど念を押したし、何しろ夏休み明けに版下をそろえておけと言っておいたのにここまでズルズルと伸ばした自分たちが悪いのだと思い知るしかあるまい。
1月某日
相撲は千秋楽、昨日優勝を決めていた朝青龍が無双山を送り出して14勝目、来場所の横綱昇進は決定的。まぁしかし場所ごとにぐんぐん強くなっていく様子は、関脇から大関、横綱と駆け上がった頃の千代の富士を彷彿させる。事実朝青龍も千代のファンだったそうで、小柄ながら豪快な投げを決めるところは似ていると言えなくもない。むしろ千代の筋力というか腕力だのみの相撲よりもスピードと小回りが効いて、モンゴル相撲仕込みの手わざも多彩だ。それに22歳という若さゆえ、怪我と負けん気の強さから来る相撲の荒ささえ出なければ、当分天下が続くのではないかという予感さえある。
1月某日
3,4限と流通2年1,2組の最後の講義。先週行った試験の答案返しと解答。最後に「試験はともかく立派な大人になって欲しい」「もし出版や編集を目指すのなら、既存のマスメディアに踊らされるだけの人間になってはいけない」など、こちらの思いを皆に伝える。やる気のなかった4限も最後は20人近く出席し、概ね好感触で終わった。最後の最後でやっと、という感じではある。