デジタルG編集長日記
2003−2

田村正和様。もう還暦なんだからいい加減そのキャラやめてください。
2月某日
 夕方旧知のデザイナー、Wさんの紹介で某ショップのWEBサイトを作って欲しいという人たちと会うことになっていたので、3時過ぎに出かける。ちょうど電車が来たので走って階段を駆け上がり、池袋に着くと4時10分ほど前。池袋駅山手線渋谷寄りホームでWさんと待ち合わせだったが、5分過ぎても来ないので気をもんだが、何とか落ち合えて、渋谷のハチ公脇の交番前でWさんの知り合いと、クライアントのお二人と落ち合った。最初Wさんの知り合いの人がズンズン歩いてホテルのティーラウンジへ行くが一杯、その後109−2地下の喫茶店に行くも一杯、結局二度もスクランブル交差点を横切って、マイアミ裏の喫茶店へ入る。そこで打ち合わせ、世間話などもして、5時過ぎに交差点手前で別れる。俺とWさんはそのまま駅に向かうが、Wさんが改札をカードか何かでスッと通った後、俺は切符を買うのを忘れており、慌てて改札手前で引き返すが、土曜日なので物凄い混雑、人波。切符売場で並んで切符を買い、改札を通って埼京線ホームへ急ぐが、途中もホーム上でもWさんとは会えず。その後携帯に電話が入ったのではぐれたお詫びを言う。

 それにしても年齢と共に、だんだん人ごみがキツくなってきているのを実感(笑)。原宿は20歳でもうダメ、渋谷は20代前半でキツかったし、最近では新宿もちょっとキツい。池袋はやっぱいいなぁ(笑)という感じ。
2月某日
 連れが前の日下血。年末年始の労働(?)の疲れが溜まっていたのだろう。以前もYちゃんの初産の時に、真夏に産院へ何度も通っていた後同じ状況になったことがあった。今朝11時頃起きると、連れがやはりまだ便に血が出ているという。顔色も白く、貧血気味のようなので、「救急車呼ぶか」と聞くが「また大騒ぎになって恥ずかしいから」という。タクシーで大丈夫、というので医師会病院へ電話して搬送することを伝える。

 タクシーで病院へ行き、急患用の受付に行くと若い男が面倒くさそうに内科の受付へ行けというので、そろそろと内科の前まで連れの手を取って連れて行き、椅子に座らせる。内科の前はいつものようにたいした病気でもなさそうな呑気におしゃべりしている年寄りなどが大量に待っている。内科受付の看護婦に急患であることを告げると、問診表と体温計を渡され、体温を測って問診表に書き込んで待ってろという。本人はめまいがしていて貧血で辛そうなので、どこか横になれるところは…と聞くとメガネをかけた中年の事務員が面倒臭そうにこっちも見ず、「とにかくお待ちください!」と吐き捨てるように言う。しょうがないので連れの隣に座って問診表に書き込んで待っていると、親切そうな看護婦さんが来て血圧を測ってくれたが、横から見ていると血圧が70くらいしかない。故障と思ったのか看護婦さんはもう一度測りなおしたが、やはり同じ数値なのでこれはまずいと思ったらしく、すぐに処置室を見に行ってくれ、ベッドが開いているからそこで寝ていた方がいい、と言ってくれた。

 ようやくベッドに寝かせて毛布と布団をかけてやると、連れは安心したようだった。しかし点滴をするわけでもなく、ただ放置。隣にはぐったりした若い主婦らしい人がマスクをして点滴を受けていた。衝立挟んで連れの横のベッドには車椅子に乗せられたジジィが女房らしい声のデカいババァに連れて来られて、栃木か福島弁かは知らんが大声で夫婦喧嘩をしていた。「だぁがら言うこと聞かねぇからこうなんだっぺ!」などと当たり構わず馬鹿でかい声でやっている。

 俺はその間に外に出て、玄関横でお姉さんに電話で病院に着いた、これから診察をするがたぶん入院になると思う、と伝える。戻ってくるとやはりただ寝かされているだけで、ようやく診察で呼ばれたのが1時。1時間放置されていたわけだ。血圧を測ってくれたのとは別の看護婦が5番診察室まで来いというので、「貧血でめまいがしていて、歩くのも辛い様子なんですが」というと、「だってここじゃ診察受けられないでしょ」とこれまたバカかお前は、と言わんばかりの口ぶり。俺は車椅子か何かくれないかという意味だったのだが。病院でわめいてもしょうがないので「そうですか」と言って連れをベッドから起こし、体を支えながらバッグ類も持って診察室前の小部屋に入って椅子に座る。5番診察室は確かに処置室のすぐ横だった。しかしそれならそうと説明してくれりゃ済むだろうに。

 すぐに中から呼ばれたので立たせてカーテンの向こうの診察室に入ると、去年神経痛で入院した時に最初に診てくれた女医のT先生だった。主治医の國分先生ではないのか、と思ったがこの先生も知らない先生ではないのでとにかく問診を受ける。ここ一日二日の様子を伝え、肛門の触診をするというので俺はカーテンの外に出る。T先生は「はい、肛門から指入れますから、ちょっと気持ち悪いですよー」と言いながら触診し、「あ、まだやっぱり出てるみたいですねー」という声が聞こえた。再びカーテンの中に入ると、「やはり点滴で栄養補給しないとならないし、入院して検査ということにしましょう」と言われる。前に下血で入院した時も、ここでも広尾病院でも結局胃から大腸まで全部検査して何も異常なし、と言われたことを思い出すが、仕方あるまい。現実に血は出ているのに、それがどこから出ているのかさえ解らない医学って何なんだろう。ともかく一旦処置室で点滴をするということになり、また移動。

 血液検査をするというのでその間仕事の連絡を外で済ませ、戻ってくると看護婦に「入院手続きをして5階のナースセンターに渡してください、ひょっとしたらもう病室入ってるかも知れないですよ」と言われる。入院申込書はその看護婦さんが代筆して書き込んでくれてあり、礼を言って入院受付でそれを提出し、5階へ。ナースセンターに書類を渡し、病室を見るとちょうどナースセンター横の病室の一番入口側のベッドに連れが横になるところだった。去年痛みで入院した時の病棟とは違う棟で、今度の病棟は比較的新しく綺麗。6人部屋で、例によってあとは年寄りばかりの様子。

 看護婦さんが容態を問診していて、俺はその脇で立ってそれを聞いたり、補足したり。終わってバッグから荷物を出したり、ベッド周りを整えて、テレビカードを買う。ティッシュがないので下に降りて買いに行き、ついでに歯磨き粉のチューブも買って戻る。しばらく話しているとトイレに行きたいというので、点滴をぶら下げて歩くスタンドを借り、トイレまで連れていく。連れは点滴スタンドに両手でつかまって支えるようにして歩くが、やはりちょっとでも動くと心臓が辛いという。その後はしばらく付き添い、夕方5時過ぎに家に戻った。その後8時過ぎにお姉さんに入院したこと、病室、あと症状と二、三週間かかりそうだという話をする。お姉さんはあさって病院へ行ってくれるといっていた。
2月某日
 仕事で麹町へ出かける用事があったが、その前に病院へパジャマや足りないものを届ける。その後麹町へ行き用事を済ませ、今度は先日のショップサイトの件で東新宿まで移動。受注内容の最終確認など。
2月某日
 昼前に病院へ行くとお姉さんが来てくれていたので、お昼は病院外の図書館にある喫茶室でカレーを食べる。3時半から連れに輸血開始。400ccのバッグで、AB型の赤血球輸血。連れはヘモグロビンの値が入院時は平常だったのが、3度目の検査では平常の3分の1まで低下していたので、赤血球輸血となった。ヘモグロビンは酸素を運ぶものだから、要するに血が薄くなって酸素が隅々まで供給されないので、頭がボーッとしたり眩暈がしたり、心臓が苦しくなったり手足がしびれたりするのではないだろうか。輸血の血液型をしっかり確認し、看護婦が輸液から輸血に切り替えるのをお姉さんと二人で見守る。

 連れは最初「ちょっと血管が痛い」と訴えたが、心配された気持ち悪さはなく、痛みもしばらくすると感じなくなったというので安心。それを見届けて、お姉さんは用事があって帰らねばならないというので下まで一緒に行き、売店前でお礼を言って別れる。

 病室に戻り、輸血が終わるまで本を読んだり話したりして待つ。連れはすこぶる調子はいい様子で、TVで肉まんが映ると「お腹空いてきた」などと言っていた。輸血が残り少なくなってきたところで見に来た看護婦さんが「輸血は高いから、最後まで入れましょうね」と言い、ギリギリまで輸血。終わって最初の黄色い輸液に再び切り替える頃にはもう4時40分頃。とにかく無事輸血が終わって良かった。連れは「気のせいか頭がスッキリしてきた」「手先も血色が戻った」と言って喜んでいた。5時になって俺は輸血も終わったので安心して帰る。
2月某日
左・マル、右・シマ 夕べは風呂に入り、1時頃寝た。布団に行くとシマが俺の毛布の上に鎮座しており、寝ながら脇の毛布に置くとゴロゴロ言いながら手で毛布をもぎもぎし始めた。そのまま寝ようとすると、何と居間にいたマルが、シマ愛用(?)の猫じゃらしをくわえて「カシャ!」と落とした。当然ゴロゴロ言いながら俺の脇で寝ようとしていたシマは「ピキーン!」とスイッチが入り、布団を飛び出して行って猫じゃらしをいらい始めた。何という猫だマルは。嫉妬のあまりシマをおびき出すために猫じゃらしを使うとは、猫が猫をじゃらしてどうするよ。おかしかったが、そのまま寝てしまう。

 起きて病室へ行くと連れは午前中の二度目の輸血も無事終了したとかで、元気そうだった。元気になったらお腹が空いたというのでビスケットを買ってきてと言われていたが、大腸検査までは絶食のはず。だがたまらないというのでしょうがなくビスケットも買ってやった。何にせよ食欲が出てきたことは喜ばしい。それを見届けてから学校へ行く。

 講師室には2年生の卒制誌のダンボール箱が4つ届いていた。箱を開けて数冊取り出して眺めてみるが、やはりダイレクト印刷ゆえに印刷自体はイマイチながら、まぁよく出来た方だろう。2年生の講義はもう終了してしまっているので、本が出来たからみんな来週木曜の4限終わった後講師室に集合して、自分のを持って帰ったりお世話になった取材対象に送るなりしよう、と連絡網でまわしてもらうように携帯で連絡する。その後12冊ほど持って3階に上がり、生徒達に見せる。ひとしきりそれを見せた後、本を作るということは、という話を皆にして、それから企画会議の続き。びっちり最後までやって終わり。

 その後大崎で先日受注したショップサイトを紹介していただいたSさんの事務所へ呼ばれていたので伺う。7時過ぎまでビジネスの話。
2月某日
 昼頃病院へ行き、お姉さんとお昼は大仏そばを食べに行く。ついでにちょこっと東京大仏にも行き、連れの病気平癒をお願いする。病院へ戻り、洗濯した連れの洗濯物を乾燥機にかけたり。すると小太りの看護婦が血圧を測りに来たが、「面会時間は3時からですから、守ってくださいねー」と嫌味を言われる。お姉さんは「自分たちは家族なんだから」と食い下がったが家族でもそうだ、みんなにそう言ってると言われたという。今まで誰にも言われなかったのに。でも規則では確かにそうなっているから仕方がない。今日は大腸の内視鏡検査だといっていたが、午後なかなか始まらない。俺は4時に東新宿で受注仕事のイニシャル集金をする予定だったので、2時半に病室を出る。
2月某日
 病院は日曜のせいか見舞い客が比較的多くて、ざわついた感じ。連れはTVを見ていた。向かいのOさんというお婆さんは相変わらず時折痰が絡むのを「ぐわぁあろれれおぐぅぇぁげはへぇぇ!」とかやっていて、それ以外はシーンとしてるかイビキかいてるか、看護婦を呼んで「みずくれませんか」「氷一つだけでもぉ」と言い、言っては看護婦に「ダメ、げほげほしちゃうでしょう」「ダメって言ってるでしょう!」と言われていてお気の毒。連れは日に日に元気になっていくようで良かったが、相変わらず点滴がついており、禁食。今日でちょうど入院一週間目なのだが、結局全く食事を取っていない。栄養は点滴で取ってはいるものの、体重測ったら36キロだったそうだ。しかし何か食べたいと言って牛乳買って待っており、ブッセを渡すと早速一つ平らげた。いいのかねぇ。いいのか。胃カメラの前にどうせ胃洗浄されるんだろうし、それまでにはどうせ消化しちゃうんだろうし。

 とにかく出血はとっくに止まったし、CTも大腸内視鏡も異常なし。これらは俺らも予想していたことだし、恐らくというか確実に来週の胃カメラでも異常は発見できまい、と思う。要するに年末年始のストレスと過労で胃あるいは十二指腸に潰瘍が出来て出血したのが下血となって現れたのであろう。潰瘍は一日で出来たり消えたりするものだから、病院に入ってすぐ検査したのならともかく数日安静にしてホッとしたら消えてしまう。そうなればその後いくら検査したところで何も見つからないだろう。素人の見立てだろうが、こっちの方が絶対正しいと二人とも確信がある。

 病院から帰宅してからはWEB構築の仕事。
2月某日
 書類が必要だったので板橋法務局へ行く。腹が減ったので大山商店街で何か食おうかと思ってそぞろ歩くが決め手がなく、結局踏み切りを超えてしまう。んで角にある暗い喫茶店に入ってピラフセットを頼むが、何とほとんど生のオニオンスライスが大量に入ったピラフで激マズ。こんなまずいピラフは久々に食ったというくらいのまずさ。

 その後ハッピーロードを歩いて携帯電話の店を何軒か見て、折り返して入った店でJ-PHONのカメラ付携帯が新規契約で最新機種2500円というのを連れと二人分契約。1時間ほど見てくれというので喫茶店で時間を潰し、電話を二つ受取って東上線で下赤塚まで行き、交番でバス停の場所を聞いて病院へ。4時半頃着く。

 病室の連れはすこぶる元気で、今日の夕飯からご飯が出るといってウキウキしていた。6時になって出たご飯は3分粥で、それでもシャケがついて俺が買ったり持ってきておいた佃煮などで食い、アッという間に完食。よほどご飯に飢えていたのだろう(笑)。俺がトレイを返しに行くと、戻ってたのは一つだけで、つまり完食では二番目というスピードなので笑う。もう大丈夫だろう。
2月某日
 このところ暖かい日が続いていたが、今日は起きるとすでにいつもよりちょい寒い感じだった。病院へ行くと連れは順調に回復していて、朝食も残さず平らげたと言っていた。俺は6時にプログラマのK君と約束があったので、5時に電話があった際外に出て高島平まで来てくれるようお願いし、5時50分頃夕飯が来たところで運んでやって、そのまま出る。6時5分前くらいに霧雨の中高島平駅前に差し掛かると、ちょうどK君から電話。歩道橋の手前だというので俺が小走りにそこまで行き、載せてもらって蓮根まで行く。ジョナサン脇の駐車場に停めて、「清竜丸」へ。今度のサイトの構築打ち合わせ。
2月某日
 Yちゃんが子連れで車で来てくれたので、途中ファミレスでご飯を食べてから12時過ぎに病院へ行く。連れの胃カメラは終わっており、食待ちだという。俺は学校に行くのでYちゃんを残して早めに病室を出た。

 学校へは1時半頃着いてしまったので座ってコーヒー飲みつつ新聞読んだり2年生の実習誌を改めて読んだり。ソファでは上野昂志先生がどこかの編集者と打ち合わせしていた。ゆっくり時間を潰し、1年生今年度最後の会議。残っていた6グループの企画プレゼンも時間内に終わり、春休みの心得などをちょいと話して終わり。

 講師室へ行こうとすると、階段のところで卒業する2年生のS君が待ち構えていて、「これ、お世話になったので」とブランデーをくれる。有難くいただく。講師室に行くと三々五々2年生たちが集まってきて、皆に二部づつ本を取るよう言い、インタビューや取材でお世話になった人には発送の準備をするように言ってソファでタバコ吸ったり、話しかけてくる生徒の応対をしたり。NさんとOさんが去年同様義理チョコをくれた。二人には去年ももらって、「今度じゃあ茶でもご馳走するよ」と言って一年経ってしまい、もう卒業だ。申し訳ないと思いつつ、少し話す。Kさんにはこないだ送ってもらった日本酒の礼を言うと、友達が酒蔵の娘なんでどんどん欲しかったら言ってください、と言われる。そうもいかんだろうに。発送の本を広報の人に頼んでヤマトのメール便のバーコードシールを貼らせてもらい、作業は終わり。残った本をダンボールに片付け、生徒たちに「卒業式いけるかどうかわからんけど、みんな元気で」とすこしだけ話をして、5時半頃出る。

 その後病院へ向かう。連れは胃カメラの結果潰瘍の痕は見つかったものの、それが下血の原因とは考えにくいと言われたという。下血をしてからもう一週間以上経っているんだから、潰瘍の痕だって小さくなってるか消えてるかしてるだろうと思ったが、医師の見解ではしょうがない。やはりな、と思う。

 夜は先日依頼された某版元のサイト構築のためにいろんな版元のサイトを調べて寸評をまとめ、それらを元に構築するならば、という案を書類にする。その後届いていた日経パソコンを読んで一服していると、確定申告が税務署のWeb上で書類が作れるというので試してみると、本当に作れるようだったのでトライしてみる。これがやり始めると止まらなくなり、医療控除のための去年一年分の領収書やレシートの金額も全部エクセルに入力して確認の上用紙に記入したりで、最終的にプリントアウトまでし終わると3時近かった。それでもあの面倒な確定申告の書類が家でできるとは素晴らしい。プリントされてきたところを見た時は感動さえ覚えた。
2月某日
 10時頃目が覚め、朦朧としたまま息を吸おうとすると喉がふさがっている。鼻はいつも乾いて詰まり気味だから、危うく息が出来ずに死ぬところだった。加湿器壊れてるの、やはり買わないと命が危ういか(笑)。12時前に、連れが明日一度戻ってくるので、さすがに最近散らかってきた部屋を片付けないとと意を決して立ち上がる。部屋の大掃除。物凄い量のゴミが出て自分でも驚く。そのゴミ出しもしなくちゃならないので、それらを合計3度の洗濯の合間に行い、台車で下に新聞雑誌の束6つ、畳んだダンボール5枚、ゴミ袋などを持って行く。洗濯が全て終わったら4時頃で、浴室乾燥にかけ、居間に掃除機をかけてテーブルの上を片し、ようやく脱力した。そこで朝から何も食ってなかったので、ご飯を炊き、ジャガイモで味噌汁を作り、納豆を用意。牛肉で炒めものを作ってそれらを食った。物凄く疲れたので、病院へはとても行けないと思って連れにメールする。
2月某日
 Mちゃんが連れの一時退院のために車を出してくれる。11時半に下に着いたというので車に乗り、病院へ向かう。連れを乗せて西台の中華料理店へ入り、お昼を食べた。
2月某日
 朝は連れが先に起きてトーストとヨーグルトを食べたといっていた。良く眠れたとも言ってたし、体重は前の晩測ったら39キロまで回復していた。病院での初日は33キロだったというから驚異的な回復ぶりで、「やっぱり輸血で若い元気な男の血が入ったのかねえ」などと冗談を言って笑い合う。外に出ると冷たい雨が降っていて、えらく寒い。美容室へ行きたいというのでタクシーで向かうが一杯の様子。しょうがないので別の日にしようということにして買い物へ。その後夕方清竜丸で夕飯。連れはもちろん飲まず、暖かいお茶。その後病室に着くと7時半。看護婦さんに書類を渡すと遅れたことも何も確認されず、そのまま病室へ戻る。そのまま15分くらいいて、俺は病院を出た。
2月某日
 10時頃起きて、支度してこないだホームページで作成しておいた確定申告の書類、連れのおやつにひよこやクッキー、デジカメをカバンに入れて出る。昨日あんなに雨が降っていたのに、カラッと晴れているが気温が低く風もあって寒い。10時39分のバスに乗るために17号のバス停に行くが、時計は39分、バスは通っていないのでまだ来てないなと思い、缶のココアを買って手を温めながら待つが、バスが一向に来ない。結局寒風吹きすさぶ中20分待ち、耐え切れずにタクシーに手を挙げて乗り込む。全くひでぇバス会社だ、国際興業。区役所前でタクシーを降りて、税務署まで歩く。税務署前にはいつものようにプレハブが特設されていて、そこの申告用の列に並んだ。思ったより多くないな、と思ったが衝立の向こうをチラと見ると、列が蛇行していて、ぎゅうぎゅうに人が並んでいた。初日の申告に来るのは、ほとんど無収入の主婦がチラホラ、あとはヒマな年寄りばかり。老人が7割から8割といったところか。俺くらいの年の男は皆無だった。それでも20分ほどで番が来たので書類を提出すると、てきぱきと係の男が判をつき、俺が「これが医療控除用の領収書です」と言うと黙ってそのまま受取ろうとするので、「これは返還してもらえるんですよね」と言うと「必要ですか?」と聞くので「そうですね」と言うと、面倒臭そうに無言で領収書の入った袋を返してくれた。要するにこちらの申告書につけた明細そのまんまで確認せずに通るということらしい。結局1分足らずで申告は終わり、捺印された控えを貰ってプレハブ小屋を出る。

 大山から東武で下赤塚へ行き、駅前のBILDYで2時ころメシを食う。和風きのこハンバーグのドリンクバー付で、ランチスープとコーヒーで食う。ハンバーグはソースが濃い味でご飯によく合い、うまかった。ゆっくり昼飯を食って、2時半ころサンクスでココアと連れのロールケーキを買ってバス停へ行き、10分足らず待ったバスに乗って病院へ。病室へ行くと「院内散歩中」とメモが置いてあり、メールで「どこ?」と聞くと外で陽に当たってたという。間もなく上に来たのでお菓子やデジカメを渡し、TVを見ながらココアを飲む。その後喫煙所に行ったり外に行って一服したりして、最後は階段にある喫煙コーナーで一服し、5時頃病院を出る。
2月某日
 今日は連れが退院の日。1時過ぎになっても連絡が来ないというので、バスに乗って病院へ向かう。看護婦さんへのお菓子を買い、モスバーガーでチーズバーガーとコーヒーで昼飯を食って病院へ行くと、連れはまだ支度をほとんどしていない状態だったので、ボストンバッグに荷物を詰め込み、紙袋3つにもパンパンに詰め込む。退院会計を済ませてナースステーションに挨拶。連れは喫煙所で一緒になる低血糖で転んで手を骨折したおばちゃんに、残ったお菓子やらお茶やらを包んであげてくる、と言って出ていった。するとしばらくして一緒に戻ってきて、御礼を言われる。余りもののお菓子であんなにお礼言われたんじゃかえって恐縮。荷物を持って下に行こうとすると、さっきのおばちゃんがわざわざ下の売店に行って買ってきたらしく、連れにお礼だと言ってハンカチを二枚くれた。逆に申し訳ない感じ。そんなこんなでタクシーで帰宅。

 連れはあの輸血以来食欲もモリモリ出て体力も回復し、一時は33キロまで落ちた体重も39キロまで回復しており、血色も良くなった。これならもう安心だろう。家に着いたのは3時半をちょっとまわったあたり。夕方、夕飯どうしようと言うと「安楽亭行きたい」というので、安楽亭まで歩いて行く。連れが肉を食べたいというのは珍しいし、ましてや病み上がりだ。大丈夫かなと思ったが、けっこう食べていたので安心。俺はビールをジョッキ3杯ほど飲む。連れは熱いお茶にした。
2月某日
 某版元のWEBサイト構築の打ち合わせ。
2月某日
 TVで9時から「マイケルジャクソンの真実」を録画しつつ見るが、なんと最後の最後、残り10分ちょいというところでテープアウトで排出された。まぁいいけど。それにしても44歳のマイケルは整形を重ねた(本人は否定)顔も凄いが、好感を得ようとしての発言がことごとく「44歳のオヤジ」の発言であることが逆効果というか裏目に出てしまうのはいささか哀れな感じさえ覚えた。「子供が好き」「木登りをしているのが一番楽しい」「子供とベッドを共にすることは互いの癒しであって、性的な意味では断じてない」などの発言、自宅にネバーランドという遊園地を持っていることも全て含めて「子供の純な心を忘れない無垢なボク」から発しているのだと思うが、「44歳のオヤジ」という現実との乖離を本人が一番気づいていない、いや気づかないようにしているのだろう。それと世俗というか世間の代表みたいなインタビュアーとの対比が面白いといえば面白い。何にしてもやっぱり普通と違う。いろんな意味で。

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