デジタルG編集長日記
2003−9
石破防衛庁長官=アホアホマンそっくり。
9月某日
連れのお母さんが俺たち夫婦も旅行に招待してくれるということで、思いがけず湯河原へ行くことになった。この日は朝お姉さんと赤羽駅ホームで待ち合わせして東京駅へ向かい、お母さんと連れの叔母さんと合流。大丸でお母さんが薄着の連れにセーターを買ってくれたりして、皆でそばを食べてから新幹線で熱海まで。熱海からタクシーで湯河原、「海石榴(つばき)」という高級旅館へ。ロビーでお母さんと親しい様子の女将さんに抹茶を出していただき、案内されたのは専用露天風呂がついているというハイグレードなお部屋。こんな旅館、ご招待じゃないと絶対確実に未来永劫泊まれないです。部屋に落ち着いて庭を観ると池には鯉が泳いでいる。山に目をやると緑が目に染みる。虫がチリチリと鳴いている。ああ何と至福の時だろうか。温泉に浸かって浴衣に着替え、夜は懐石料理に舌鼓。目の前で焼いてくれる川魚の様子、料理などをビデオで撮る。
翌日は朝ご飯を食べた後、タクシーをチャーターして箱根方面へ向かう。天気が良く、途中の展望台で記念写真を撮ったりしつつ、箱根関所跡で買い物したり、POLA美術館を見たりして、お母さん推薦の蕎麦屋で昼ごはん。その後湯本まで向かい、おみやげなど買ってロマンスカーで帰宅。新宿駅でお母さんにお礼を言ってタクシー乗り場で別れ、赤羽までお姉さんと一緒に行き、構内で別れる。俺たち夫婦はヨーカドーで買い物をしてタクシーで帰宅。ひさびさの命の洗濯、楽しい旅行だった。次は何とか自力で行きたいもんです。
9月某日
前の晩親戚のYちゃんが車で娘のM,Sを連れて泊まりに来ていたので、朝11時頃起きたあとみんなで車で板橋子供動物園へ出かける。板橋区にこんなミニ動物園があることを意外に知らない人は多いが、まだYちゃんが小学生の頃だったか、出かけたことがある。淡水魚水族館、その後動物園。ポニーに乗れる券を貰い、しばらく待ってMがポニーに乗る。その後デニーズでご飯食べていったん家に戻り、夕方Yちゃんたちは帰って行った。
9月某日
連れの調子がこのところまた悪い。食欲がなく体重が減る一方なので、今日医師会病院で診察してもらうことになった。俺は一度起きたが寝直していると9時半から病院だからと、9時前に起こされる。しかしメールおとついの晩に勝呂先生に「入院になるかも知れません、診察お願いします」と予約を入れたら、「3番で外来の診察をしています」とメールが入っていたが時間は指定されなかったので、じゃあ結局外来に普通に行くしかないわけだからと、11時までに行けばいいやということにする。連れは自分でもう入院だろうと決めており、ボストンバッグに入院荷物をすっかり荷造りしてある。すると9時半頃Yちゃんから電話があり「今日病院でしょ、バイト休みで子供らは保育園だから車で行くよ」と言ってくれる。正直入院荷物があるので助かった。
この日は俺のひいばあちゃんの命日なので、ひさびさに仏壇…というか飾りだなの一番上のご先祖様の写真があるところを脚立を出して雑巾で掃除していると、連れが何の気なしに背伸びをして棚の右端をサッと触ったら、こないだ無くしたと大騒ぎをして俺が区役所で再発行してもらった保険証が出てきた。連れは「どれくらいホコリがたまってるんだろう」と思って手を伸ばし、その伸ばしたところに触ったものをつまんだら保険証だったというので驚く。病院で会計の時に返してもらいそびれたのかとか、バッグの中や財布の中は、どっかで落としたのか、なんて探していたのに、連れが背伸びをしてようやく指先が届く棚の一番上に自分で置くとは考えにくい。ひいおばあちゃんが見つけて置いてくれたのかね、と二人で不思議がる。
支度を終えて待っていると10時過ぎにYちゃんが来てくれたので、車で病院へ向かってもらう。10時半頃外来に診察券を勝呂先生のところに入れて待っているとすぐに検査に行くように指示が出たので、3人で2階の検査室へ書類を置いて待つ。俺が売店でお茶やコーヒーを買ってきて、検査室の中のベンチで待っていると、3,4歳の男の子が60過ぎくらいの婆さんに付き添われて採血をしていて、針が痛いのかしきりに大声で「いたいよぉ、いたいよぉ」と叫んでいる。最初は俺らもあらあら可哀想にねえ、なんて見ていたのだが、「いたいよぉ、いたいよぉ」と機械的に主張していて針がとっくに抜けて脱脂綿あてられてもまだ「いたいよぉ、いたいよぉ」。何だ演技かよ、と思って観ていると、ばあさんは採血終わるやその孫を抱きかかえて俺らのベンチの横までタタタタと走ってきて、孫を抱いたままベンチになだれ込み、検査の紙をバサリと取り落としながらいきなり「か、可哀想にねぇ」と言いながらメガネを半分落としかけつつ泣き出したのには驚いた。
その孫はババァのヒザの上で相変わらず「いたいよぉ、いたいよぉ」と主張(よく見ると泣いているのではない)し続け、ババァはひぃひぃ泣いている。さすがに俺らも顔を見合わせて笑いをこらえるのに必死。ババァはボトルの三ツ矢サイダーを取り出すとあわただしくスクリューキャップをあけて孫に与えると、孫は「いたいよぉ、いたいよぉ…ゴクンゴクン」と普通にごくごくと飲み、一息つくとまた「いたいよぉ、いたいよぉ」と言って泣きまねをしている。涙は全く出ておらず、むしろババァの見えないところでは口では「いたいよぉ、いたいよぉ」と言いながら淡々とした顔さえしており、ババァはそんなことを知らずにメソメソ「可哀想にねぇええ」なんてやっているから、ハタから見てるともう爆笑もの。コントかよ。
その孫はおそらく日常泣きまねをしてダダをこねればこのバカな祖母が甘やかして何でも言うことを聞いてくれているのだろうなあ。その後連れが採尿と採血を済ませ、40分ほどかかるというので一度外で3人でタバコを吸い、その後は検査室外のベンチで時間を潰す。40分ほど経って検査結果をもらって内科外来へ戻る。その途中階段のところで俺が検査結果を見ると、何と肝臓のγ-gdpの値が800を超えている。普通女の人は確か2〜30のはずだから、大変な数値だ。俺は驚いて「何だこれ、こりゃあ入院だわ」と言う。連れは「何でこんな数字に?」と驚く。結果を窓口に提出して内科外来の前でしばらく待つと、勝呂先生ではなく女医のT先生からお呼びがかかり、3人で診察室に入る。するとT先生は予想外に「数値が下がってきてますから、入院ではなくこのまま自宅で様子を見ていいと思いますよ」とのこと。聞けば、なんとこないだの検査ではγ-gdpが1000を超えていたそうで、もしこれが初診の患者さんだったら即入院を勧めていたという値だったそうだ。前回は連れ一人で病院へ行ったので、俺はその時の数値までは知らなかったので、今回はあれでも良くなっていたと聞いて驚いたわけだ。T先生は「糖尿の薬と、今回肝臓の薬も出しておきます」と言われた。
処方箋をもらって診察室を出て会計に出し、待っている間とにかく入院じゃなくて良かったね、あとは気をつけて生活しようと3人で話す。俺は先に処方箋を調剤薬局へ持っていくので出て、薬局の中で週刊新潮を読みつつ待つ。薬局は混んでいた。Yちゃんと連れが入ってきて「買い物してくる」というので俺はそのまま待っていたが、30分以上待たされてようやくドッサリ薬を貰う。4000円以上かかった。薬局を出るとちょうど買い物を終えた2人が戻ってきたところだったので、合流して車に乗り込み、途中ひいばあちゃんの花とおはぎを買う。ご飯を食べて、2時半過ぎにマンション前に着き、Yちゃんは保育園に子供らを迎えに行くのでそのまま帰り、俺らは帰宅。やれやれ、入院はしなくて済んだのは良かった。その後俺はパソ仕事、連れはうとうとしたりTV見たりで、夜はご飯を炊いてサンマの塩焼きでご飯。このところ食欲がなかった連れも少ないとはいえちゃんと食べた。
9月某日
上野の国立西洋美術館で開催されているレンブラント展を清竜丸のマスター夫妻と一緒に見に行く。9月とは思えぬ猛暑だ。カキーン! と晴れ渡る空、突き刺さる日光。連れが病み上がりなのを心配してくれたマスターの河野さんがわざわざ車を借りてきてくれて、上野まで乗せてってくれた。駐車場に車を入れた後少し歩いただけで汗が吹き出てくる。思わず道端のカキ氷のおっさんにマスター歩み寄って世間話などしながら二人分もらうのだが、その風情がまた浅草育ちのマスター、さすが江戸っ子という粋さ。途中カキ氷を分けてもらい、美術館へ入る。
17世紀のオランダバロック絵画を代表するレンブラントだが、レンブラント以外のいわゆる「レンブラント工房」の画家たちの絵は完成度は高いものの凡庸だと感じる。レンブラントの作にしても、あの独特の光と影の陰影が素晴らしい「預言者エレミア」が見られたのはいいとしても、「夜警」はなかったし、何よりレンブラント以外の作品の多さがちょっとなあ、と思った。しかし最大の収穫(?)はこれまでレンブラントの作品だと信じて疑わなかった「黄金の兜の男」が実は工房作だったということか。あの兜の描写の凄さ(光り輝いてます)、これがレンブラントだよなぁ、なんて思ってたらとほほほ。自分が悲しい。
その後チラとミュージアムショップを見た後、皆で車に乗り込んで、浅草へ行ってマスター推薦の蕎麦屋で舌鼓、物凄い量の野菜天、美味なものの多すぎて残す。喫茶店で一服した後は、泪橋、山谷方面をドライブ(笑)して送ってもらい、帰宅。帰りの山谷の光景はレンブラント展を吹き飛ばすものがありました。