デジタルG編集長日記
2003−12
「苦は楽の種」「明けない夜はない」「下がった後は上がるのみ」…本当なんすか、ねえ!?!
12月某日
某社の某プランのため某にある某社を訪れる。ってこれだけ伏せちゃ全然意味ないすか。まぁともかくこちらの編集キャリアを買ってくれてるようなのはいいんだけど、あまりにも「理念」が違いすぎて、結局なごやかに双方の相違点を双方が確認したまま辞す。俺とて別にたいした編集者じゃないし、生意気なことを言える立場でもないことは重々承知している。だけどあまりに考え方が違いすぎるところとは仕事はしたくない。ほんの少しだけどプライドもある。自分らの保身のために平気で人を陥れたり、誹謗中傷したり、デタラメな嘘で人心を都合のいいように操る、そんな連中の何と多いことか。てめぇらいい加減にしねぇと本当にブッ殺すぞ、と思う奴らも何人かいる。そういう奴らに限って、何もなかったかのようにのうのうと、相変わらず自分たちは「いい人」を装っていい暮らしをしている。そうして自分が気に入られたい相手にはことさら自分を卑下したり、弱いところをワザと見せて安心させて利用し、後を向いたらもう舌を出している。見抜けないのか、そんな奴を? といつも思う。そういうクズのような連中には信仰心を持てとは言わない、俺も特定の宗教への信仰は持っていないが、せめて自分に対する最低限の戒め、良心というものを持てよと言いたい。自分は何かによって明らかに、生かされている。科学や唯物論だけに頼って生きている連中の顔を見てみろ。発言をよぉく聞いてみろ。間近で付き合ってみろ。何と醜くて独善的で、鼻持ちならないことだろうか、すぐに解るだろう。
12月某日
WOWOWでBON JOVIのビデオクリップ集、今年のアコースティクライヴが続けて放映されたので見る。ボン・ジョヴィつうと80年代にデビューした時点では「ヘン、ビジュアル系すか、はいはい」とバカにしてたのだが、「It's my life」あたりから「いいかも」と思ったらジョンが一旦俳優宣言して泣かず飛ばずだった後はまた興味の範疇外。かつてのヒットナンバーを全く別アレンジ、しかもアンプラグドぽくやるというので見てみたらまぁ円熟というかけっこう良かったです。といころで俳優としてのジョン・ボン・ジョヴィで一番印象に残っているのはハーレイ・J・オズメント主演「ペイ・フォワード」でアル中の暴力夫をチョイ役でやったくらいすか(笑)。
12月某日
今年はいち早く年賀状印刷を終える。何年か前に大量に余っていた年賀状を郵便局に持ってって、今年の年賀状と手数料払って交換してもらおうと申し出ると、今年の年賀状は今年の年賀状としか交換できないという。しょうがないので切手に交換してもらった。それとは別に、追加に50枚、インクジェット用の年賀状を買う。
12月某日
ついにフセイン逮捕のニュース。逮捕後のメディカルチェックなのか、お口をあんぐりあけて「あーん」の映像には笑わせてもらいました。その後も側頭部を自分で指差して「ここがちょっと痛いの」(想像)なんて映像にも爆笑。うまいよな、アメリカ軍。これでイラク国民を震えあがらせていた独裁者像も一気に失墜だ。それにしても穴倉に金持って隠れてるところなんざ、かつてのオウムの麻原を思い出させる情けなさである。フセイン支持者は「彼は最後まで銃を取り、米軍と戦って死ぬと信じていた」と言っていたのに、この体たらくではさすがにトホホ感は否めまい。
12月某日
ジャナ専今年最後の講義の日、流通現場論2年3組、2組と2コマで終わり。4限を終えて教室を出ると、3組のY君が待っていた。彼はパソコンのスキルも高く、卒業制作の自分の企画ページもいち早く高いレベルで終えていた生徒なのだが、そのせいで他の生徒たちのフォローというか尻拭いというか、手伝いをさせられてきた。挙句版下の締め切りであった今日、彼の家に遅れていた6人が前の晩から泊まりこみ、徹夜でやらされていたそうだ。全くどうしようもない連中だが、Y君はそれらの尻拭いを終えて、学校までデータMOと印刷見本を持ってきてくれた。講師室で全ページの刷り出しの確認をしていると、事務長が会議で使うというので学生センターに移動して作業を続け、印刷業者へ発送手続きを終えて終了。Y君は「これから帰って寝ます」というので、学校前で別れる。本当にお疲れさんでした。それにつけても遅れた上に自分らが持ってくるでなく、最後の最後までY君に甘え切った連中には制裁を加えねばならないな。どうしてくれようかな。モヒカンにさせようかな。いや逆モヒカンかな。
12月某日
久しぶりに映画「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989/伊)を観る。やっぱりいいなあ。名作だよなあ。しかし若い人がどっかで「どこがいいのか全然わからない」とか「最後(現在をひっぱるところらへん)がどうしても余計だって思っちゃう」とか書いてるのを読んだことがあるのだけど、自分が最初に観た時はさすがに「どこがいいのか全然わからない」なんて感想は持たなかったものの、ラストは必要かというところでは少しだけ疑問があったのだが、それが十数年ぶりに観て氷解。
大人になってアルフレードの葬儀に30年ぶりに戻ってきたトトが、母親が昔の自分の大切なものをちゃんと残してくれていた自室で、かつて死ぬほど恋した女の子の8ミリ映像を見る。それを母親はそっと見守った後、トトに静かに「あなたは電話するといつも違う女が出る、一人の本当に愛する人を見つけて落ち着いて欲しい」というようなことを語りかける。そうして葬儀の後、アルフレードが残してくれた形見の映像、かつて神父の検閲(?)によって切り取られた数々のキスシーンをトトが見て涙するシーンにつながるのだ。アルフレードが言いたかったことはつまり、そういうことなのだということが伝わってきて、素直に感動できた。この映画は30過ぎないとダメなのかも知れないとも思ったのだが、よく考えたら「映画」「映画館」というものにある種のノスタルジックを感じる世代じゃないとそもそもが理解できないのだろうと思った。例えばトトの少年期の映像、無駄なギャグやシーンが多すぎるという批判も耳にするのだが、そうしたもの全てが大人になってからのトトにとって、アルフレードが「この村を出て長い時間帰ってくるな」と言った意味につながり、それをはっきりと自覚させる素敵な「思い出」として不可欠なものであるとわかる。故郷を捨て(?)都会に出てきた経験もない、映画はTVやビデオでお手軽に見られる、なんて最近のガキにゃわからんだろうな、こんなこと言っても。
12月某日