デジタルG編集長日記
1999−2

2月某日
 ジャナ専1年生の講義。20分ほど早く着いたので本校舎の方の職員室へ行くと先日最後の講義が終わった二年生の一人が、パルコさんの講座の卒業制作で同人誌を作ってるらしく、その最後のコピー作業がある、というので来る。編集者というのはあまり表に出るものではないし、実力が伴わないうちに前に出たがるのは論外だと思うが、彼らの制作誌を見ていると稚拙なのはともかく「俺を知ろ、見ろ」「もっと俺に関心を持て」系のオーラが強い。そういう欲を出すことに快感を覚えるのはある程度仕事をこなして、自分の仕事が認められてからでも遅くないと思うが…。まぁでもこれから社会に出て、そういう「俺」を出す事が出来るのもしばらく後だろうから、最後ってことか。存分に出せ。というか出しきっちまえよな。  さて途中から教員室に来られた鈴木邦男さんや上野さんに挨拶して、講義をする第二校舎へ。すると松沢さんとバッタリ。今日上野さんと、松沢さんの後任で今年度著作権を担当していただいた松沢さんの友人の講師と上野さんと待ち合わせたとのこと。職員室へ入ると上野さん、講師がすでに話し合い中。どうやら来年度以降の話らしい。実は彼とは初対面!だったが誰も紹介してくれないのでボーッと横で聞くとはなしに聞きつつタバコふかしていると1年生たちが班ごとにコピーを取らせてくれ、と来る。今日の作家研究の発表のため。そのうちの3人(女生徒)はお題が「成年コミック」。女の子にはちょっと辛いお題だなぁ。でも自分たちで選んだんだからしょうがない。
 発表は相変わらず「公」と「私」の区別がつかずタメ口やムダ口の多い発表だったが、まぁそれなりに頑張ってはいたのでOKとしよう。4:10をちょっと発表が過ぎてしまったが、その後10分ほど話をして、終わり。来週は今年度最後の講義。
 都電で赤羽事務所へ。古山君は先日の日曜に自分のMACとDOS/Vを持ち帰った様子。机の上はガランとしていた。こっちも引っ越しの準備をせにゃあ。
 去年の春から10ヶ月、赤羽事務所も俺らの引越しと同時に消滅か。思えばアッという間だったなあ。それなりにここは快適だったが、やはり金銭と時間的なロスは大きかった。やっぱり事務所構えて仕事をするには収入が少なすぎた。もちろん、当初は某社がその収入を確保してくれる受注をくれるはずだったのが、この不況でアテが外れたのが大きかったわけではある。まぁ甘かったと言やぁ甘かった。
2月某日
 さてジャナ専の生徒たちも2年前に比べるとだいぶパソコンが使えるようになってきたようで、最近ではインターネットなども覗くようになっているようだ。こないだパルコさんの伝言板を見たら、「ジャナ専生徒」というハンドルで誰かが書き込んでおり、それもタメ口で書いてあったので「いかんな」と思ってたら、先日の2年生の最後の授業で集めた2年間の感想文の中で、某生徒がカキコしているようなことを書いてあった。ははーん、コイツか、と納得。と同時に常連さんたちに失礼があってはいかんと思い、「最低のマナーを守れ、またジャナ専生徒は他にもいるのだから、名を堂々と名乗るかハンドルを考えるかしなさい」と書き込む。するとさっきその生徒から事務所に電話があり、「僕なんか失礼なことをしましたか」と聞いてきたので、「聞かれないと解らんようじゃ駄目だよ」と言いつつ丁寧に教えてあげると、納得した様子。というか編集者にならんとしている者がそういう気配りができなくてどうするよ。いつも思うが生徒が未熟なのは当たり前。指摘してやるのが愛情、ですか。ネット社会では皆モニタの向こうでくすくす笑うか「バーカ」と思われるだけで、よほどのことがないと親切に指摘はしてくれない。
2月3日
 新宿ロフトプラスワンで、イベント“SAVE THE GARO”。
 朝恐ろしく寒い。TVをつけるとこの冬一番の寒さだという。今日のイベント大丈夫かなぁ、という感じ。
 やまだ先生と赤羽事務所に行き、オークションに出すTシャツや画稿を出したりしていると夕方。5時半入りの予定だったがちょっと遅れて気味。腹が減っていたが何も食わずにLOFTへ到着すると、まだ行列などはなく、ちょっと不安。ねこぢるナイトの司会の時は、会場入りの時にもう階段に行列が出来ていたし。
 控え室であるバーに入ると松沢さんや大和堂の面々がすでに来ていた。世間話したり、ビールもらって飲んだりしていると6時すぎになってやっとパルコさん到着。パルコさん曰く「いやぁいつも松沢さん遅れてくるから、それ見越して遅れてきたんですよ」ってあんた、ワザとかい(笑)!
 大和堂のスタッフが作ってくれた今日の出品一覧を見つつ、オークションの順番などを打ち合わせ。今回のイベントの主旨は文字通り青林堂を救うこと。大和堂さんが支援に乗り出したとはいえ、資金が無尽蔵にあるわけではない。むしろこの不況下、資金調達だって大変だし、何より青林堂の未払い印税が凄い金額だというのだ。こういう中でデマによってズタズタになった作家さんとの信頼関係を再構築し、この間に作家さんが版権を引き上げて他社から再発してしまったものを除く既刊の単行本を再版したり、悪化した取次各社との関係も修復していかなければならない。これはもう大変な作業だ。そうした瀕死の青林堂を助けるために、承諾して下さった作家さんのオリジナルグッズや一点もの、原稿などや、オリジナルではないが貴重な版下まで、欲しいという方にオークションしようというのが“SAVE THE GARO”というわけ。
 心配していたお客の入りも、会場ほぼ一杯ということで一安心。7時半ころ、司会のパルコさんが出てご挨拶。僕と松沢さん、やまだ先生を呼び、スタート。まずは一昨年のクーデター事件の真相(?)を小一時間ほど皆で語る。会場を見渡すとジャナ専の教え子たち(二年生)が一番前にズラリと陣取っており、後方には一年生も二人。あとこのデジタルガロのスタート時からの常連さんたちも多数来られており、感謝。あと、やはりねこぢるさん関係のレアなものが出るということで、ねこぢるファンもかなり多数いらっしゃった様子。
司会陣/写真提供・大和堂  青林堂/ガロの話のあとは、いよいよオークション開始。
 つげ義春版画、鈴木翁二リトグラフ、やまだ紫原画、みぎわパン原画、逆柱いみり原画+色紙・オブジェ、蛭子能収サイン本・原画、山野一原画・サイン本、原画ではないが単行本の版下類、そして貴重な限定版の数々…続々と続くレアグッズに会場もヒートアップ。中でもねこぢる+山野さん関係のものはやはり凄い争奪戦で、落札価格もガンガン上昇。写真左は左よりやまだ紫、松沢呉一、僕、パルコ木下(敬称略)の司会陣。
ねこぢるプリクラのカバー/写真提供・大和堂  右は幻のねこぢるプリクラカバー没バージョン。(いずれも写真提供=大和堂さん)
 ねこぢるさんのイラスト原画はもう二度と作成されないものだから、やはりファンとしてはどうしても手に入れたいものだろう。しかもその裏には山野さん直筆のネーム(マンガの下書きのようなもの)入り! こちらも金があれば欲しいものがザクザク。この日一番の高額落札は、T治虫「虫の標本箱」限定版1−4巻セットが20万7500円!! これを落札したぢっぽさんとTORACOさん(ハンドルネーム。お二人はデジガロ掲示板の開設当時からの常連さんで、ガロの読者暦も長い)は、雑誌の取材まで受けていた。…でも大丈夫すかぁ? とちょっと心配。皆さん本当にありがとうございました。この日の売り上げは作家さんの還元分を除き、全て青林堂の再建に使われるとのこと。
 終わって楽屋に戻るとジャナ専の生徒たちがワラワラと入ってきて、口々に「先生先生」と話しかけてくる。「就職決まりました」「就職ダメでした」「面接の連絡まだきません」などなど、可愛いもんですな生徒っちゅうのは。ともかく大盛況で終了、良かった良かった。終了後は会場に来てくれた美術出版・コミッカーズの国広編集長とパルコ・松沢・やまだ各氏と、桂花ラーメンを食いに行って、タクシーで帰宅。疲れました〜。
2月某日
 朝…というより昼、あわてて起きたら12時。松沢さんの単行本『糞尿タン』のカバーイラストを描いてくれた古屋兎丸さんと2時に武蔵境で待ち合わせなので、メシも食わずに出かける。新板橋から埼京線に乗り換えて新宿から快速で武蔵境。思ったより早く着いたので、待ち合わせの喫茶店で和風ピラフを食う。キノコ入りで量は少なかったが美味しかった。ものの5分でたいらげ、一服してると2時ちょいになり、古屋さんが彼女を連れて入ってきた。
 そういえばお互い久しぶり。古屋さんは「白取さん、かなり痩せましたねえ」と一言。10キロくらい痩せたんじゃないというけど、体重は前に会った頃と比べてそんなには減っていない。ということは顔が痩せてハラに…?
 さっそくイラストを受け取る。こないだFAXしてもらった線画に着色してあり、なかなかナイスなもの。古屋さんは今教え子に作ってもらったという物凄く速いDOS/Vで、PHOTOSHOPを使って原画を取り込み、仕上げなどをしているという。よく「いかにもぱそこんつかってかいてますぅー」系の原稿があるが、ああいうのは僕らにするとちょっと恥ずかしい。というかダサい。妙にフォーカスついてたり、過剰なエフェクトかけたりという、アレね。でも古屋さんのはマニュアルとデジタルをうまく融合して使い分けており、仕上げはもちろん手で行う。全くパソコンを介しているとは思えない仕上がりで、「古屋さん、あんたカッコいいよ!」と心の中で叫ぶ。実際に叫ぶと阿呆みたいですから。そんなこんなでいろいろ話して、1時間ほどで古屋さんたちと別れ、中野まんだらけへ。
 僕のコラムを連載させてもらっている「PULP」を発行している、VIZ出版が今年出版する本の資料に頼まれていた、青林堂関係の単行本を買いにというわけだが、自分の本は引っ越し用に全て荷造りを終えており、探すのが困難なのと、資料に送ってしまうと自分の手元に無くなってしまうのが残念なため。最初タコシェに行くが津野さんの本がなく、まんだらけDEEP館へ。津野さんの「雨宮雪氷」(これ俺が作った本ですよ)と魚喃キリコさん「WATER」、自分用に高野さん(権藤晋)の「ガロを築いた人々」の3冊を買う。

2月某日
 引っ越し当日。朝8時赤羽事務所からスタートなので、事務所へ先に行く。事務所の方はすでにキチンと荷造りと掃除を終えており、作業は非常にスムースに進行。だが、実は蓮根の自宅の方は大変なことになっていた。前日までに頑張ったものの6割程度しか荷造りが進まず、しかも7年間放置しておいたものも多数あり、赤羽の荷物を舟渡に搬入までは良かったが、蓮根に着いて我ながらあまりの荷物の多さとゴミの多さ、さらにほとんど進んでいない荷造りに鳴きたくなる。それでも何とか家人と力を合わせて頑張るが、荷造りしてもゴミ縛っても何しても終わりが見えない。途中2度くらい本気で気が狂いそうになった。全身も疲労の極致。まぁこんな事世間さまに発表してもしょうがないんで割愛するが、生き地獄のような一日で、終了したら真夜中でした。引っ越し業者も呆れてたが、後日呆れたのはこっちであった。

 旧宅のゴミが物凄い量になったので(見積もり時の800%増しくらい)、もうとにかく綺麗に全部持ってってくれ、ということで交渉の結果3万円多く渡し、さらに運送業者3人に一万円のチップまであげて、とにかく終わった終わった! と祝杯。
 ところが翌日、旧宅の大家さんから「全然綺麗になっていない、すぐ掃除に来い」と苦情。新居の荷解きも済んでいないので、とにかくその翌日に伺うということにしたが、一気に憂鬱になってしまった。実はその翌日というのは、ジャナ専の卒業生たちと、最後に遊園地でお別れにパーッと遊ぼうということになっていたのだ。生徒たちとは1年時の温泉合宿に参加できなかったため、最後は絶対来てね、と言われていたのにすっぽかすわけにはいかない。とにかく翌日8時起床、9時過ぎに携帯が鳴り、小島さんが「みんな揃ったので入場しようと思いますが、先生は何時頃これそうですか」と言うので、「10時半ころかなぁ、ともかくゲート前に着いたら電話するよ」と言って切る。やはり今日はドタキャンするわけにはいかない。せっかく生徒H君のお母さんのはからいで後楽園のタダ券取ってもらったし。

 赤羽で降りて赤羽岩淵まで歩き、南北線で後楽園へ。ドーム方向へちょっと歩いたところで生徒の一人に携帯で電話すると、皆は電話の時ジェットコースターの行列に並んでいるところだと言うので、乗り終わるまで外で迎えを待って入る。生徒らとパルコさん親子と合流し、メシでも食おうかと提案するが12時半からのギンガマンショーに並ばないとならないという事で、整理券を各自貰ってガキ連れやらで凄い人ゴミの中を並び、入場。
 ギンガマンはゴレンジャーからの流れを汲む一連の戦隊もの(5人のヒーローがそれぞれのカラーに別れて、中に女が必ず一人いる)で、俺は全く知らなかったのだが、凄い人気。野外劇場なので寒く、座って待ってる間にコーヒーを皆におごったりして、開演。ショーの構成自体はまぁ予想の範疇だが、思ったよりアクションがキッチリしていて、30分がアッという間だった。いや、面白かったっす。ガキンチョを連れた親子連れが一番多かったものの、アクション俳優は美男子が多く、それ目当ての若い女の子がすげぇ望遠レンズやらビデオやらを構えてたりというのも多くてビックリ。

 その後こちらは旧宅の片づけに行かねばならなかったので、ともかく一旦遊園地の外に出て、喫茶店で皆とご飯を食べて、「卒業式で会おう」と別れる。そしてすぐに地下鉄で部屋に行くが、ゴミこそそれほどないものの、エアコンもそのまま、部屋の電灯やらカーペット類は持っていってない。しかもとても汚い。引越し屋には処理代金を余計に払い、チップまであげたのに何じゃこりゃぁ? という状態だ。呆れていてもしょうがないので身内に車を出してもらい、日を改めて自分たちでエアコンを外したり、後片付けまで全てやり、近くのゴミ集積場へ運んだというわけ。
 粗大ゴミは東京都では現在、申し込みをして金額を聞き、金額分のシールを購入してゴミに貼付する。そして通常、住んでいたところのゴミ置き場なりにまとめておくということになっているが、今回は引っ越しと同時だったのと、何より業者が全部持っていってくれるはずだったので、予定外。なので引き取りの日まで数日あるから、旧宅の脇に置いておけば住民の邪魔になるだろうと判断し、わざわざ近くのゴミ集積場までエッチラオッチラ車で三往復もして運んだわけだ。もちろん、その事情は清掃局にも話して了解を得、さらに集積場の前の住民にも説明して挨拶をし、キチンとシールまで貼った。完璧である。

 ところが今度はその翌日、打ち合わせで新宿に出ている時に携帯が鳴り、旧宅の不動産屋がひどい剣幕で怒鳴りたててきた。要するにゴミを不法投棄しただろう、と近所の住民が騒いでいる、そのために大家さんのところに苦情がいって迷惑している、ただちに撤去しろ、と無茶苦茶なことを言う。だからこちらはちゃんと手続きを取ったんだ、という事をいくら言っても駄目で、しかもあんなヒドイ置き方をするとは何事だ、とキイキイわめくので、ブチ切れそうになるのを抑えて「とにかく明日行って善処します」ということにする。翌日見に行くと、まとめてあったゴミが散乱している。エアコン2台も結局捨てることになったし、コタツ台なんかもあったので、誰かが使えるものはないかと穿り返したらしい。もっとも不動産屋のババァによると穿り返されるような置き方をしたこっちが悪いんだとよ。結局、もう何もかも面倒なので、大家に出入りの業者に移動させてくれ、と頼んだ。
 すると、結局清掃局が気をきかせて集収日前に引き取ってくれたとのことで、落着。何なんだよ。…とまぁこういう事もあってですね、今は新居で快適なわけだが、業を捨てきるというのは大変なことなんですな、という話。


2月某日
 先日Webを見たというアクセスという会社のWさんからメールが来た。アクセスというのは同じ板橋区内にあるそうで、こちらもそうだが向こうも同区内にこうしたデジタルコンテンツ関係の業者がいるとはあまり考えてなかったようで、一度会いませんか、ということで、こちらが板橋本町まで出向くことになったわけ。アクセスは身体障害者用の電動車椅子の輸入販売やパソコンの入力補助器具・ソフトなどの開発の他に、デジタルコンテンツの作成などもしているという。Wさんはいい感じの方で、小一時間ほどお話をして、何か協力できることがあれば…ということで辞す。
 何かこうしたコンテンツ制作やデザイン系に関わらず、いわゆるギョーカイ系は皆都心の方にあるから、こちらも板橋区内にこういう会社があるというのはちょっとビックリ。城北も捨てたもんじゃないっすね。今はメールやWebもあるし、一度も顔を合わせなくてもビジネスは可能。(もちろん、じかに接して相手の顔を見て話すということを否定するんじゃないっすよ、すぐそういう揚げ足取る奴がいるけど。)要するに仕事上そこじゃないといかんというならともかく、見栄張るだけなら麻布とか青山にバカ高い家賃払って事務所構えなくたっていいじゃん、力抜けよみんな、ってことですよ。
2月某日
 「別冊宝島」の取材で、やまだ先生を編集部の伊熊さん、ライターとカメラマンの方が来訪。伊熊さんは先日のSave the GAROの際にロフトに来て下さっていた。取材が終わって世間話をしていると、伊熊さんは杉作さんと親しいとのこと。例の事件以来杉作さんともご無沙汰しているが(ガロの担当時代は十年くらい毎月一回以上は顔を合わせていたのに)、よろしくお伝えください、とお願いする。
2月某日
 「散歩の達人」の取材でライターの神田ぱんさんと編集の方が来訪。やまだ先生の猫話を中心に。神田さんは赤羽事務所を共同開設した初期メンバー。途中やはり地理的なことがあって離脱したが、それ以来あまり会う機会がなくなっていたので、取材終了後、久々にデジガロの遅い新年会でもやろう、ということになっていた。場所はこれまた引っ越し後てんでご無沙汰している清竜丸。神田さんとタクシーで蓮根まで行くと、古山君が既に来ていて、お疲れさまで一杯。間もなくさっくりジョン氏も到着して、久々に清竜丸の料理に舌鼓。
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