デジタルG編集長日記
1999−3

3月某日
 大和堂で松沢さんと待ち合わせのため、広尾へ。舟渡からだと埼京線浮間舟渡駅から恵比寿まで一本だ、こりゃ楽ちんだわいなんて思っていたが、時刻表を見たら日中は新宿止まりのみ。Shit! 結局山手線に乗り継いで恵比寿まで出ると、雨。クソーなんで…とズブ濡れになりつつ歩いて大和堂へ。今回の単行本『糞尿タン』(4/2青林堂より発売予定、定価1300円おもろいから買ってね)はDTPで版下を作成したため、微妙な制約が多々あり、結局今回の著者校正は4稿。直しは80個所以上に上り、その場でデータ修正をするつもりでMOを持っていったが、持ち帰って翌日の入稿までに修正することにした。
3月某日
 昨夜で修正はほぼ終わったが、念のためもう一度全ページを出力して確認。Pagemakerは日本語の縦書きが苦手で、半角数字二文字の組み合わせはボロボロ。結局全ての半角数字を別なコラム枠でひとつひとつ入力、さらにダブルクォーテーションもillustratorでアウトライン化してはめ込み。出力で大幅にズレなきゃいいが…という心配が残る。
バイク便で送る手配をしていると、デザイナーの大岡さんから装幀が上がったという連絡。さっそく受け取る段取りをする。
3月某日
 新宿・ルミネ内の青山BCで大岡さんと待ち合わせて、『糞尿タン』カバー版下を受け取る。もちろんデータ入稿。出力見本、いい感じだ。兎丸クンのイラストも真正面からドーン! という感じで堂々。可愛いくてちょっとエッチで怪しい感じ、まさに注文通り。大岡さんは世間話をするうち、当デジガロのスタッフでもある古山君とは旧知だし、ガロでも連載していた中ザワヒデキさんのところでスタッフとして働いていたという。中ザワさんと僕は彼が学生の頃、「BICAN」という同人誌を制作した時に、ガロに紹介して欲しいと訪ねて来られてからのお付き合い。意外と世間は狭いですね〜、と笑い合う。
 大岡さんと別れた後、版下データを届けに白山の印刷・製本所へ向かう。水道橋から都営三田線、白山駅から小石川植物園方面へ歩く。入稿したあと、バスで池袋へ向かい、帰宅。あとは校正刷り待ちである。
3月某日
 大和堂の蟹江社長から『噂の真相』に新刊の広告を出したいので、版下を作って下さいと連絡が入る。『噂の真相』かぁ…とちょっと感慨深い思い。あの忌まわしいガロ編集部クーデター事件の際に、クーデター組のデマに添って、福井青林堂社長を不当に貶める記事を掲載した雑誌である。もちろん、今はもうだからどうこうというこだわりはないのだが、担当編集者の名を聞いたら、まさしくその当時僕に取材をした本人だったのでちょっとびっくり。ま、仕事なのでサラリと確認の電話をして、広告版下を制作し、出力見本と注意書きを添えたのだが、そこに以下のような手紙を同封した。
 ご無沙汰しております。
 その折はどうもでした(笑)。
 青林堂の新刊の広告版下をお送りいたします。指示は別紙の出力見本にしてありますので、よろしくお手配ください。
 さて青林堂もあの「事件」以降さんざんな目に逢いましたが、大和堂さんの支援を受けて何とか立ち直りつつあるようです。今回の新刊も、大和堂さんの尽力で発売できるようになりました。私の方は事件以降フリーとなって編集やデザイン、WEBクリエイトなどをしております。
 青林堂のあの事件で言うと、もういい加減「会社ころがし」(※1)がクーデター組のデマだったことはご承知とは思います。Fさん(クーデター後の青林堂の再建に奔走した)は確かに貴誌が報じた通り、父君が過去に問題を起こしたとはいえ、本人には何の罪もないことは自明でありましょう。(※2)
 あの記事で行くと、過去に、しかも本人ではなく身内に犯罪者がいるというだけでその人間は更正不能な「黒い」人間ということになります。結局青林堂を立て直そうと思ったF氏は(もちろん本人の見込みが甘かった、出版にはシロウトだった、人心の把握ができなかった…などの問題はあるにせよ)本気で奮闘したし、その結果が個人で膨大な借金を一人背負った、という結末です。ハタから見ていても一番の被害者ではないかとおもいます。
 一連の事件に関する報道を今になって総括すると、やはりクーデター組の流したデマに乗せられたものの何と多かったことか、という印象です。Mさん(※3)はT氏(元青林堂役員)と親しいと後になって人づてに聞きましたが、あの取材は我々をハメたものだとは思いたくはないですね。
 創出版の篠田さんと親しいある人によると、T氏は本気で福井氏がヤクザであり、自分の身が危ないと当時思っていたそうです(笑)。むしろ、その事の方が“マンガ”だと思いませんか? それと会社転がしという発想ですが、彼らがなぜそんなデマを流したのか、最近まで全く理解できませんでしたが、経理書類をいろいろ洗っていった人から聞いたことで、最近になってやっとわかりました。
 彼らクーデター組の首謀者は「青林堂はオイシイ」という事を知っていたからです。
 つまり、私のような青林堂の経理にタッチしていなかった人間にとっては、青林堂は貧乏だと思っていたし、利益なんかトンデモナイと思っていましたから、そんな会社を転がしてどうするよ? 的な疑問がずっとありました。しかし、青林堂の役員報酬はかなりのものであり、また利益も出ていたということが判明したということです。はは〜ん、ならば彼らの言う「会社転がし」もまんざらヨタでもないな、と。
 結局それを聞いた私は、な〜んだ、彼らは青林堂のイイトコ取りをしたかったのか、という結論を得ました。そしてそのために一度も休刊したことのなかったガロを休刊に追い込み、自分たちは作家に「青林堂はもうダメだから、版権を引き上げろ」と工作する。噂の真相さん、そっちの黒い計画の全貌を報道した方がずっと面白かったと思いますよ(笑)。
 ま、そんなことは今となってはどうでもいいことですが。
 あれからもう2年近く経ちますので、もう私にも悪夢のような(ヤクザの一味呼ばわり)経験を早く忘れたいという方が強いです。彼らへの恨みは一生忘れませんがね(※4)(笑)。
 今回の本は古屋君がすばらしいイラストを描いてくれました。いい仕事をして、腹黒い連中のことはサッサと忘れようと思っております。
 今後ともよろしくお願いします。

※1…「噂の真相」97年9月号(だっけ?)掲載「青林堂に何とかした黒い人脈がどーたら」というモノモノしい記事より。
※2…個人的な内容を含むため中略。
※3…噂の真相担当編集者の名。
※4…俺は執念深いヘビ年である。恨みは一生忘れない。んでもって仕返しは必ずする。
事件当時のデジタルガロメイン伝言板の全ログ一覧(ただし一ログが数中kbあるため、重いですよ)
3月某日
松沢さん『糞尿タン』カバー、古屋兎丸画・大岡寛典装幀 松沢さんの『糞尿タン』カバー色校と本文青焼きが届く。さっそくデザイナーの大岡氏に見せに、東北沢へ。大岡氏は松沢さんのエッセイシリーズの装幀を全て担当しているが、断(た)ったカバー色校を『恐怖の大玉』(ポット出版)に巻いて、『えろえろ』などと並べてみるが、見事な統一感。ロフトブックス、ポット出版、そして青林堂と別版元から出ているにもかかわらず、装幀は全て統一されている(もちろんイラストなどは違うけれども)、こういう事はアタマの固い大手には出来まい、と笑い合った。古屋氏のイラストの色味はまぁあぁで、ちょっとした修正以外はOKで、安心。念のため兎丸君に電話すると、「お二人にお任せします」という嬉しいお言葉だったので、色味を忠実に出してもらうよう、注意するようにする。
 印刷所は白山なので、新宿からバスに乗るが、寝過ごしてしまう。秋葉原まで行ったので、じゃんがららぁめんを食おうと思うが行列。平日なのに何だこの行列は!! しょうがないのでトボトボ駅まで戻り、上野まで行き、バスで春日へ。白山へ行く前に印刷所へ電話を入れると、今日戻さなくてもOKということだったので、一旦帰り、自宅で本文のデータ修正。
 Pagemaker(win版)で本文を仕上げたが、どうしてもフォントを置き換えて出力するため、微妙なレイアウトが目論見と狂う。特に日本語中の半角数字の2文字組み込みなどはめちゃくちゃになってしまう。印刷所はMac対応しかしておらず、Winは外注に出すそうで渋い顔。もちろんMacの優位性(印刷や製版における)やマシンを作る際のコンセプト(iMAC最高だよね)は認めるけれど、やはりこれだけ世の中にWindowsマシンが普及した今、小回りのきかない大手ならともかく、中小の製版・印刷業界はWindowsに対応していかないと活路はないと見るがどうか。夜には完璧にデータは仕上がるが、やはり出力が心配。今のところWindowsDTPは妥協の連続である。

3月某日
 ジャナ専の卒業式で池袋へ出かける。あいにくの雨だったが、会場にちょっと遅れて着くと生徒のKさんが駆け寄ってきて、「待ってたんですよー!!」と引っ張られた。もう料理はいいものは始まってすぐに売り切れたそうで、わがコミック科の円卓もカラになった皿がたくさん。皆すごい食欲だなぁ。間もなくパルコさんも来て、他の科だが講師の鈴木邦男さんや永瀬唯さんも来たりして、生徒も交えて談笑。肝腎の主任である上野昂志先生は別件で中座しているとのことだったが、相変わらずの就職難で教え子のほとんどはいまだ就職先未定、という感じ。だがまぁ記念撮影したりして、その後喫茶店へ行き、生徒とパルコさんとで2時間近く話し込んだ後、帰宅。生徒の一人が「今度は仕事でお会いできるといいですね」という嬉しい言葉をくれた。本当にそうだねえ。皆、頑張ってほしい。
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