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S P E C I A L C O N T E N T S
◆確固たる「ワールド」・辛酸なめ子INTERVIEW◆ |
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1994年、PARCOが発行していたフリーペーパー「GOMES」のマンガグランプリで、「辛酸なめ子」というヘンテコな名前の漫画がグランプリを取った。審査員はあの吉本ばなな氏。一見ヘタウマ少女漫画風のその「That's先見ゼミ」という3Pの作品は、僕たち編集者や周囲の漫画家、イラストレーターの方々の間で「…見た?」「面白いよね」という形でヘンテコなペンネームと共に少しずつ広がっていった。
その後すぐに、当時僕が在籍していた青林堂・ツァイトのスタッフだった古山啓一郎氏を通じ本人=池松江美さんという小柄な美少女と知り合えたのだが、周囲の「物凄く面白い」という評判をよそに、彼女の活動はメジャーとは呼べないものだった。しかし、その後、彼女はちゃくちゃくと独自の「辛酸・池松ワールド」を貫徹し続け、その活動範囲を確実に拡大していってくれた。 そしてついに昨年、「辛酸なめ子」ワールドの集大成として初の作品集『ニガヨモギ』が三才ブックスから上梓され、改めて我々にその世界の面白さをバッチリ提示してくれたのだった。もちろん、彼女はメディア・アクティビストである池松江美としても、妙なグッズやオブジェを作成し人気を博している。今自信を持って「一番目が離せない人」と言える彼女に、インタビューを試みた。ぜひ、ご覧あれ。 Webzine Digital-G 編集長
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※なお、本稿は白取が講師を勤める日本ジャーナリスト専門学校・コミック編集コースへのゲストという形で収録されたものを元に、加筆・修正の上掲載しています。
Shinsan Nameko Interview(2001/1/22 REC.)for Japan Journarist Collage
#1 あまり漫画を読まなかった少女時代<UPDATE 2001/2/9>
#2 広がる「辛酸ワールド」<UPDATE 2001/2/14>
#3 形を問わない「自己表現」<UPDATE 2001/2/21>
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#1 あまり漫画を読まなかった少女時代Shiratori(以下S) ええと、辛酸さん、と言うとどうも言いにくいので池松さんでいいですか(笑)。
Ikematsu(以下I) あ、はいそれはもう全然どちらでも構わないです。
S 池松さんと最初にお会いしたのはもう5、6年くらい前になりますか。
I そうですね。4、5年…でしたか…
S 最初はうち(当時「デジタルガロ」)のスタッフだった古山(啓一郎)君の紹介でお会いしたんですよね。その後いろいろ同人誌とか見せていただいて、面白いなあ、と。
I あ、ありがとうございます。
S 池松さんというと、当時から周囲で「池松っていいよね」「面白いよね」なんて、周りを取り巻いてる錚々たる人たちがみんなで言ってたんですよ。
I あ、そうですか、それは知りませんでした。
S そういう輪の中で、何かご本人はキョトン、とマイペースで創作を続けている印象が僕にはあるんですよ、今でも。で、いつ頃から漫画とかに興味持ったんですか?
I 実は、小学生時代とかあまり漫画を読んでいなかったんです。
S え? そうなんですか? 少女漫画とかも?
I ええ、通っていた歯医者さんの待合室にある『あさりちゃん』とか、そういうのは読んだりしてましたけど。あとは、『○○のひみつ』という学研のひみつシリーズや、小学館の「小学○年生」に掲載されている漫画しか、家が厳しいので読ませてもらえなかったのです。病気で寝込んでいる時くらいでしたね、「なかよし」とか「コロコロコミック」を読ませてもらえたのは。
S そうなんですか。小さい頃から一人でコツコツ漫画を描いていたような感じかな、と勝手に思ってたんですが。
I インプットはとても少なかったのですが、妄想癖があったので、漫画は幼稚園の時から描いたりしていました。今よりずっと長編のラブストーリーとか…。「ニガヨモギ」に部分的に掲載されている「かなしみをのりこえて」は7歳くらいの時に描いた漫画です。
あとは、今急に思い出したのですが、小学校2年の時、隣の席の男子が毎週「自由帳」を買ってきては表紙を破いて雑誌を作っていたんですが、それに漫画を連載していました。たしかロボットと少女が出てくる漫画です。白いノートに直接描くという大胆な連載方式でした。
S あー、そういうの僕もやったなあ。じゃあけっこう作品はあるんですね。
I 子供の時の作品、たくさん描いたのにほとんど燃やしてしまって今はないんです。親が「描いた絵を燃やせば天国に届いて、もっと絵が上手くなる」という迷信を信じ込んでいてジャンジャン燃やしていました。そんな風にして漫画を積極的に描いていたのは小学校低学年までで、高学年になると中学受験のための勉強が始まったので全然描く余裕がなくなりました。「GOMES」に応募する漫画を描くまで、10年くらいの長いブランクがあります。
S じゃあ「辛酸なめ子」って凄い名前はいつ頃生まれたんですか。
I 辛酸なめ子という名前を初めて使ったのは…ええと、これなんすけど…。
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高校時代に友達と作った新聞なんです。ちなみに一緒に新聞を作っていた渋川祐子さんとは、今、奇遇なことに同じ雑誌「サイゾー」で記事を書いています。
S おお、本当だ! これが記念すべき「辛酸なめ子」初の作品。『針金アート入門』なんてやってますね(笑)。
I ええ、はい。
S この「小西新聞」の由来が面白いんですよね。
I 私はホームルーム委員をやってたんですが、ある日領収書をもらうときに、お店の人に「高2C会計でお願いします」と宛名書きを頼んだら、間違えられて「小西会計事務所」と書かれたことからなんです。
S で「辛酸なめ子」という名前自体は…
I ええ、何となく思いついた名前です。面白くなくてすいません。
S いえ、そんなことはないです(笑)。これ以降はどんな活動をしてたんですか?
I 当時家にあったワープロ「東芝Rupo」を使って原稿を書き、それを切り貼りして「号外ヤドカリ」「鱒ニュース人間用」といった新聞のようなものを作ったりしていました。その後、父が仕事場で指を切断しかけ、それで得た見舞金で買われたMacintoshのHyperCardというソフトを独学でなんとか使えるようになって、スタック作品を作ったりしていました。スタックというのは、ボタンを押したら何か起こったり、アニメーションが再生されたり、音もつけられ、さらに簡単なゲームなど、インタラクティブの元祖というべき作品が作れるアプリケーションです。
S あー、ありましたね。みんな夢中になってましたよね。
I そうですね。でも初期のMacにしか付いていなかったので、今はすっかりすたれてしまいましたが…。そんな風にしてしばらく新聞、ハイパーカードスタックなどを作っていて、ある時、かねてから愛読していた「GOMES」漫画グランプリの募集が目に止まり、応募しようと思い立った次第です。
<以下次回>(次回更新は2/15予定)
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