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P R O F I L E
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白取千夏雄(Chikao SHIRATORI)
【編集者・ライター・WEBクリエイター】
■1965年7月17日、北海道函館市生まれ。父京兒(歿)・母節子の次男。170cm61kg。B型蟹座、体質特急。
■酒…全般。ビールと日本酒。特にビール。(特急にはよくないが) ■食べ物…好き嫌いほとんどなし。つい最近まで里芋系が駄目だったが、清竜丸の「きぬかつぎ」で克服。要するにウマければ食えるのである。 ■趣味…音楽(鑑賞…ブリティッシュハードロック全般、日本のロック一部/演奏…ドラム。ベース多少、ギター少々) 写真…初代はMINOLTA X500、次に同α5xi(視力が落ちたのでAFに変えた、標準レンズの描写力の良さに仰天)、現在はCanon EOS5(今何か安くなってますが、コレほんといいカメラっすよマジで)。デジカメはRICOH DC-2V(リコーさん、あの質感とフタ開くとモニタになるというコンセプトは最高っす)、今はCanonPowerShotA20。 |
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■1歳の時に父が病没。
■中学生の時は生徒会書記を経験、高校時代はバンド三昧。母親を説得して1年間の大学受験モラトリアムを得るや、高校の卒業式をすっぽかし漫画家を目指して上京、専門学校で長井勝一ガロ編集長(96年1月歿)に師事。 ■在学中の84年に青林堂「ガロ」編集部でアルバイトを始める。当時は「ガロ20年史・木造モルタルの王国」編纂の大詰めだった。 ■85年青林堂正社員。以降月刊「ガロ」と単行本の書籍編集。 |
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◆当時の青林堂は「紙の注文から営業まで」というキャッチフレーズがあり、あらゆる経費節減のために外注を極力減らし、編集以外にありとあらゆる事を学びました。写植指定や版下作り・色指定は当たり前、製版フィルムのオペーク、デザイン、レイアウト、イラスト、日々の返品整理、改装作業、品出し、梱包、搬出、倉庫出納、在庫管理、書店営業・取次営業その他もろもろを全て編集が行っていました。
その経験が生きて(?)、漫画、イラスト、版下、装幀、雑文、ビデオ出演(非エロ)他、副業在籍中から多数。 青林堂はとにかく給料が信じられないぐらい安かった(ちなみに初任給の手取りは8万円だった!)し、経費もほとんど出なかったため、社員のアルバイトは黙認という大らかな会社でしたねー。もちろん全然暮らしてけないので、青林堂時代に出来た個人的な借金は今も返済が大変な状況ですが(泣)。 |
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■90年に長井会長・山中社長(兼ガロ編集長、ツァイト社長)体制となり、それを機に文章ページの版下制作にツァイトのDTPソフト「JG」を導入。以後、ちゃくちゃくと紙面をDTP化し、写植屋さんに恨まれる。
■95年「ガロ」副編集長。 ニフティサーヴに加入し、文字原稿のメール入稿化を進める。 ■96年個人的にインターネットを始めてみる。 「ガロ」とマルチメディアの融合を模索、12年勤めた「ガロ」副編集長籍はそのままで、親会社ツァイトに正式に移籍(メディアスタジオ事業部長、役員待遇)。 ■97年3月ツァイト・山中社長「ガロ」のインターネット融合雑誌「デジタルガロ」創刊準備号刊行。現場制作部門担当するが、無茶な搬入部数増の結果大失敗に終わる。 ■同時にオンラインマガジン、「デジタルガロ」編集長。(これは完全ボランティアで現在デジパッド運営の「デジタルG」に至る) 4月より、日本ジャーナリスト専門学校コミック編集専攻科で上野昂志・パルコ木下(〜01)・松沢呉一(〜98)・永瀬唯各氏と共に講師を務める。(〜2005年7月病気休職まで、編集科講師) ■97年6月、「ガロ」副編集長を辞し、ツァイトのデジタルコンテンツ事業に専念。OBとして、88年から続けていた担当ページ「4コマガロ」は引き続き編集業務を続ける(98年に入ってからは青林堂の編集方針の変更により消滅)。 ■97年7月、「ガロ編集部員総辞職事件」勃発。デジタルガロ掲示板を事件関係情報の収集と開示に開放。 ■97年8月、経営不振と事件の影響もありツァイト倒産。フリー=失業者になるも、ボランティアとして青林堂デジタルガロ編集制作・運営は継続。 |
◆この時点で、僕は長年勤務した青林堂と、その親会社となったツァイトとは全く無関係になったわけです。よく誤解されるのですが、当「デジタルG」の前身である「デジタルガロ」は、この当時の青林堂のサイトにあったコンテンツです。しかし後(98年8月)に経営難からサーバも維持できなくなったために、当デジパッドがそっくり引き取って「デジタルG」となって現在に至ります。(もちろん僕以下編集制作スタッフは全員ボランティアで継続)なので、現在ある青林堂とは資本関係は全く無関係であり、完全に独立してデジパッドが運営している非営利のサイトなのです。
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■97年10月、JT(日本たばこ産業株式会社)様のブランド「HOPE」のサイトでオンラインマガジン「CLUB HOPE」編集長。(〜98-3)
■97年12月、漫画家やまだ紫「デジパッド」設立に伴い専務取締役に就任。出版企画・編集・制作に加えWEB・ソフトウェア事業部門を担当。 ■98年4月、デジパッドのWEBサイトdigipad.com立ち上げ。 ■98年8月よりアメリカの日本漫画雑誌「PULP」(VIZ communications Inc.)にコラム「Shiratori's Laboratori」を連載(98年9月号〜00年9月)。 8月24日、青林堂、経済状況の悪化から「デジタルガロ」閉鎖。コンテンツは当Digipadに移転、青林堂とは無関係の非営利サイトとしてボランティアで運営を継続。
■2000年3月米国VIZ communications Inc.在日本編集エージェント。日本漫画をアメリカ(というか世界!)に紹介するお手伝い。(〜2000年9月)■2000年4月、パルコ木下さんらと『コミック昭和40年会』結成。当初昭和40年代生まれ=同世代の漫画家や漫画関係者が連帯して何か面白いことをやろう、ということでしたが、年齢なんかどうでもいいじゃん!に方針転換して現在休止中。 ■2000年8月、米国VIZ communications Inc.より編著書『Secret Comics Japan』上梓。 ■2002年3月、伯剌西爾Conrad出版の「NeoTokyo」日本編集エージェント就任、連載開始。日本漫画をブラジル(というか世界!)に紹介するお手伝い。(〜2003年まで) ■2003年3月〜以降某版元様のサイト作成・管理・運営担当。(継続中につき守秘義務あり) ■2003年5月〜某物販サイト作成・管理・運営担当。(継続中につき守秘義務あり) ■2005年7月、癌宣告(白血病・悪性リンパ腫の一種、つまり血液の癌)を受ける。幸い(?)進行が非常に遅いリンパ性の癌のため、無治療で様子を見ることになり、自宅に引きこもる。 ■2005年9月、長年勤めさせていただいた日本ジャーナリスト専門学校編集者専攻科非常勤講師をやむなく休職させていただく。 |