漫 画 模 写 原 稿
学生時代に描いた漫画の模写原稿です〜
★以下は「見たい」という奇特な方が若干名いらしたので恥を忍んで公開してしまう、私の模写原稿です。  これを描いた1984年当時、私は18〜19歳でまだ長井勝一(96年歿、初代ガロ編集長・青林堂社長)氏が講師を務めておられた漫画教室の生徒でありました。ちなみにガロ編集部で働くようになったのはこの年の暮れからです。長井さんはよく「うまい作家さんの絵を模写しなさい、それが技術向上の一番の近道だ」と口癖のように言われておりました。

 で、この教室では長井さんが毎回単行本から複製した「紙焼き」(製版フィルムを撮って印画紙に焼き付ける、高精度の複製です)を配布して、それを原稿用紙に模写するという課題を出していました。ですから、見本となる紙焼きはA5判くらいの小さなもので、それをプロが使う漫画原稿用紙(当時ガロで自社名を入れて印刷していたもの)に模写させられました。サイズは当然B4くらいの大きなものです。

 さらにこの場合、模写といってもトレス台にオリジナルか見本を敷いて、その上に原稿用紙をあててやっているのではありません。長井さん曰くそれは模写ではありませんし、ちょっと覚えがある人なら誰でもそれなりに正確になぞれば出来てしまうからです。長井さんはあくまでも自分が目で見て、タッチや微妙な線の使い分けなどを「自分の腕で」描き写すことを要求していましたし、そうでなくては技術の向上にはつながらないということからでした。ということは、A5という小さなサイズの見本をB4近い大きな原稿用紙に目算で描き写さなければならず、高い技術が要求されたものです。

 ちなみに当時模写させられた原稿は、ここに公開した作家さん以外に滝田ゆう先生、松本零士先生など超個性派の方ばかりだったので、それぞれ毎回大変な苦労をしたものの全く別なタッチが勉強できて良かったです。  ところで私の場合この模写に関しては自他共に認めるトップの成績でした。ええ、本当ですとも。それが結局「模写は誰のやらせても超一流だけど、肝心のオリジナルの絵がねえ…」と長井さんに言われて漫画家を断念することになろうとは皮肉なもんでしたあ(笑)。
★画像はクリックすると別窓で拡大されますが、それぞれ300kb前後あります。まぁ今はブロードバンド時代だからいいか…。
★それぞれの拡大画像内の右上に汚れがありますが、これはスキャナ表面の汚れでした。拭けよ自分。
手塚治虫先生の模写
★えーと作品名は忘れたんですが、ご存知巨匠・マンガの神様・手塚治虫大先生の作品の一ページです。手塚先生の場合キャラクタの主線は流麗かつ勢いのあるタッチで描かれ、背景は当然アシスタントさんが繊細に描かれております。ですので確か主線はGペンでササッと、背景は丸ペンでカリコリと描いたような記憶があります。
 拡大されたものを見るとやはり全然ダメですね(笑)。特に背景がいい加減です。
樹村みのり先生の模写
★これは樹村みのり先生の「結婚したい女」からタイトルページですね。タイトルはレタリング、作家名は本来写植ですがこれもレタリングしました。樹村先生も線が「走る」作家ですから、やはりチンタラ見本を見ながら描いてたのでは線の勢いが死にますし、それによってタッチが変わって結果似なくなってしまいます。なのでなるべくササッとタッチを意識して模写した覚えがあります。
 で拡大されたものを見るまでもなく、背景(これはカブラペンだったと思う)がデタラメですね(笑)。特に主人公の左奥に立っている人物のデッサンの狂いが今でも口惜しい。トレスすれば完璧に模写できた自信はあったのに、やっぱり見て真似をするというのは実に難しい。
つげ義春先生の模写
★ご存知我々ガロ者には神様仏様カリスマ様のつげ義春先生の代表作の一つ、「紅い花」から冒頭の一ページです。どの先生方も当然ですが線、タッチが非常になめらかで勢いがありますんで、じっくり「似せよう」と思うと必ず線が死んで失敗します。つげ先生は勢いがあるところと微妙にゆったりしたところが混在しており、それが逆に難しかったと記憶しております。この模写は全部Gペンだったと思いますが、Gペンは筆圧によってタッチを変化させることができて便利な反面、使い慣れないと自分の未熟なタッチがそのまま出ますから緊張しました。
 これは拡大してみてもまぁまぁいい線いってるのでは、と二十年前の自分を誉めてやりたいっす(笑)。やっぱり好きな作家さんの作品には力が入ったということでしょう。

★この原稿は白取が故・長井勝一氏に師事していた学校の授業で課題として描いた模写原稿です。
★もちろんそれぞれのオリジナル作品の著作権はそれぞれの大先生方が所有されておりますですはい。
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