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■PULPサブカルチャー特集掲載評論 for"PULP"(USA)■
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◆日本のサブカルチャーを考える −「ガロ」とコミックを中心に PAGE2 ご存知のように「コミケ」で販売されるアマチュアの同人誌のほとんどは、安価な「軽オフ」(簡易オフセット印刷=軽オフセット)で制作されている。70年代の「軽オフの登場」が、それまで大量に制作しなければコストが合わなかった紙媒体の「出版」というものに、個人が小部数でもそれなりのクオリティの印刷物を制作できるという革命を与えた! …わけです。しょぼいホッチシス製本のマニュファクチュアコピー誌ではなく、腕さえ良ければ仕上がりはたいそう立派なものが出来上がるのだ、書店売りされているものと、シロウト目には解らないクオリティで、腕さえ良ければ。同様に、後のパソコンとそれに伴うネット環境の普及が個人の作品発表という環境に及ぼした影響は計り知れないほど大きかった。ちなみに近年はコミケでもCD-RやDVD-Rに記録したデジタルコミックや画集、ゲームなどのコンテンツも非常に増えてきている。 再三僕が「PULP」はじめアメリカやブラジル、あるいはヨーロッパなどに地道に紹介してきた「ガロ」という雑誌が、漫画雑誌という体裁をしながら、ある時期日本のサブカルチャーの象徴のように認識されていたことに関して、大方の漫画好きの方々にも異論はないようだ。(「ガロ」は「マス」であったことはないので)…その雑誌に、それも特に「ガロ」がサブカルチャーの情報誌的な色を強めた時期に十数年間在籍して、「ガロ」目線から日本のサブカルチャーを漫画という側面から考えることは、そんなに的は外れてはいないだろうと大目に見てもらえると嬉しい。 さて「ガロ」が創刊された1964年というのはどういう時代だったか。日本の現代史的に言うと、1960年代は、「高度経済成長期」と言われた時代。日本が壊滅的打撃を受けた戦争が終わり、50年代まで続いた朝鮮半島での代理戦争による「特需景気」で、日本経済は戦争から奇跡的な速さで立ち直った。さらにその後、1964年の東京オリンピック開催に向けて、日本全体が社会的インフラの整備も含めて、未曾有の好景気に沸いていた時代。 自分はそのまっただ中に生を受けたので、もちろんその時代の雰囲気は知らない。もちろん身内やメディアからの情報はたくさん見聞している。特に母親などは客商売をしていたので、70年代まではそりゃあいい時代だったと今になっても聞かされるほどで…。 ――メディアで言うと、東京オリンピックの中継はもちろん、現在の皇后・美智子さんが当時の皇太子・今上天皇と結婚するというので、日本中がそれらの中継を見ようとテレビを買い、急速に普及したのだ、と聞いている。実際統計で見てみると、1958年にたった15.8%だった白黒テレビの世帯普及率は、「東京オリンピック」「皇太子ご成婚」後の1966年には何と94.4%に達した(ほぼ全面カラー化は1982年で98.9%)。 言うまでもないがテレビというのはもちろん、出版メディアとは対象のケタが違う「不特定多数」を相手にするマス・メディアだ。60年代半ば以後、他の先進諸国と同様に、日本のカルチャーシーンも、次第にテレビを中心としたものへと以降してゆく。 話が逸れがちなので漫画に目を戻すと、日本の漫画の歴史を「鳥獣戯画」まで遡っても仕方がないので、一応近代漫画の歴史は1910年代の岡本一平(朝日新聞社)、池辺鈞(国民新聞社)、近藤浩一路(読売新聞社)の三人がそれぞれ新聞社の漫画担当として活動を始めた時期に始まったという説が有力だと聞いている。(1915年にはそうした在京の漫画家たちが早くも「東京漫画会」を結成、「漫画家」という職業・仕事を社会へ認識させる行動を興した。大正期にはいくつか漫画雑誌が創刊したものの、そのいずれもが短命に終わったという) 定期刊行物としての漫画雑誌は、1921年に時事新報が北沢楽天を主筆に日曜刊の付録として創刊した、「時事漫画」がその端緒だといわれている(〜1933)。これはあくまで付録としての定期刊行だったらしいので、こんにちあるような漫画発行のスタイルでいうと、まだまだ新聞連載という形が主流だった。 その新聞連載の中から人気連載が出てきて、それらが子供向けの漫画として人気を博す(「正チャンの冒険」、「ノンキナトウサン」)。そして登場したのが「のらくろ」(田河水泡)、「冒険ダン吉」(島田啓三)などであった。特に「のらくろ」は、国民的漫画でありキャラクタとして、戦前から戦後まで半世紀以上に渡って親しまれることになった。(自分も子どもの頃、友達の家へ行くと、少し上の世代が読んでいた「のらくろ」や「サザエさん」がよくあって、ごく普通に読んだものだ) 漫画というと、戦前までは新聞掲載の政治風刺のカートゥーンが次第に連載のコマ漫画になり、その中から子供向けの長編漫画が生まれて行った…と言えるのだろう。その過程で、小説や読み物中心だった少年向けの月刊誌の中に一つのコンテンツとして掲載されていき、人気の作品・作家は単行本として刊行されていくようになる。戦中の人材・物資不足、また当局の検閲などの不幸な時代を経て、ようやく戦後になって1946年には「少年」が、そして漫画誌としても「クマンバチ」「VAN」「新漫画」など数十種が創刊され、翌47年には「漫画少年」の創刊という流れで、漫画ブームが起き、漫画は再び急速に少年たちに浸透していった。巨匠・手塚治虫の斬新な漫画表現も、この頃から漫画の流れを大きく変えていくことになるのは研究家の人たちでなくても知っている話。 そして、1950年代には貸本漫画が登場する。子供向けのものが主流だったのはもちろんだが、一方で「影」(1956)、「街」(1957)などに代表されるハードボイルドタッチのものやエロティックなものなどを含めた、要するに大人向けの「劇画」も増えていった。 ちなみにこの「劇画」という呼称は前年にさいとう・たかをや佐藤まさあき、桜井昌一らが結成した漫画集団が提唱していた「新漫画」という名称を、1959年、メンバーであった辰巳ヨシヒロが「劇画」に統一し「劇画工房」が誕生したことによる(ちなみに辰巳さんは「ドン・コミック」という古書店を東京・神保町で経営されており、私も取材やプライベートで何度かお邪魔りました)。 こうした劇画的な漫画は、一部を除いて、主にブルーカラーの息抜き的な読み物として支持されていった。当時を知る人に聞くと、もし50年代の日本で、ホワイトカラー層で、通勤電車や職場の昼休みにそのような漫画を読んでいる大人がいたとしたら、恐らくその職場ではかなりのマニアか、変わり者と思われただろう、とのこと。 つまり「インテリ」は漫画なんぞ読まない、という時代だったという。漫画とゴシップ(実話)にヌードグラビアというスタイルの「土曜漫画」、「週刊漫画Time」という雑誌が、ブルーカラーの好む「下世話なエロ本」というひどい評価だったということ、また、後に60年代半ばになって「ガロ」でデビューし活躍し、大学生にも絶大な支持を得ていた林静一や佐々木マキといった才能が、ある週刊誌で「大学生もマンガを読む?」と驚きを持って取り上げられたこと…なんかが象徴的だろう。ともかく、今となっちゃ当たり前的日常の、「大人の漫画ファン」にとってはまだまだある種不幸な、そんな時代。 このような時代背景のもと、「ガロ」は1964年に貸し本漫画や少年誌で忍者ものや時代劇を描いて活躍していた、白土三平の超大作「カムイ伝」を発表する場として創刊された。 「ガロ」の発行元である青林堂の社長、長井勝一(1921〜1996)――ちなみに長井さんは僕を漫画編集の世界に誘ってくれた恩師である――は、「山師」(文字通り鉱脈を掘り当てるために探し歩く人、とか色んな意味があるが、要するにヒトヤマ当てたろか、という人)に憧れて大陸を目指したというユニークな人物だ。 この時代から「ガロ」創刊に至る長井の人生は、そのままもう一つの戦後出版史としても、個人史としても非常に面白く興味深いものがあり、『ガロ編集長』(現在はちくま文庫刊)という著書にまとめられているので、ぜひ一読されたい。終戦後、長井はヤミ市での特価本販売や卸、さらに貸し本漫画の出版などを経て、白土と邂逅することとなる。白土は62年に長編の貸本漫画「忍者武芸帳」全17巻を完結させて、劇画ブームの立役者となっていた。(畏れ多いのでわざわざ文中に敬称略、と断っておく) 長井は白土から「カムイ伝」の構想を聞くや一も二もなくその作品を連載する雑誌を作ろう、と意気投合したという。しかしこの時点で結核という大病上がりでもあった長井には、漫画雑誌をコンスタントに刊行してゆく経済力はなかった、このため、「ガロ」は当時メジャーな少年誌でも売れっ子であった白土に経済的なバックアップを受けてのスタートとなる。 長井は著書でも書いているように、「当時は一本ウン万もしたストマイ(ストレプトマイシン=結核治療薬)をバンバン打ってたからよぉ、金がいくらあっても足りなかったよ」と、よくその頃の話してくれたものだ。一度温泉で背中を流したことがあるが、大きな手術痕があったのを憶えている。それにしても自分は青林堂在籍時、「ガロ」の編集をしながらこの時期の話を折に触れて直接聞くことができたから、今となっては本当に貴重な体験であったと思う。 <-PREVIEW NEXT-> |
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★この文章は米国の雑誌「PULP」の日本サブカルチャー特集(2001年)に掲載した評論の日本語原文を、版元のVizCommunications様のご厚意により、加筆の後、掲載させていただきました。
★日付や人物の肩書、版元その他の名称などは掲載時のものです。(敬称略) ★長文なので見やすい環境を設定できるよう、本文のみ文字の大きさを変えて読むことができます。 |
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